Rejet 大正偶像浪漫 帝國スタア 怜・参邇について雑感

突然好きな男が出現してしまった2021夏

Rejetの大作DIABOLIK LOVERSの今年発売のCDでトラブルがあったらしく、近藤さんもキャラクターのファンも気の毒だな…と思ったので7月末に近藤隆さんの出ているシチュエーションCDを買いました。別にディアラバ関連ではない。

 この翌々日に注文してた。

大正偶像浪漫「帝國スタア」 伍番星 怜 声:近藤 隆

大正偶像浪漫「帝國スタア」 参番星 参邇 声:梶 裕貴

大正偶像浪漫帝國スタア伍番星怜、2014年発売の5枚+続編6枚のうちの1枚です。上に書いた通り、よく分からない理由で気軽に買った怜さん(れぇちゃま・れぇちなどと呼んでいる)がすごく好きになってしまった。前に同じシリーズの参邇(彼の主人公へのセリフがあまりにも人間について鋭く深くえぐってくるので真理CDと呼んでいる)を買って聞いていて、おもしろかったのでそのこともまとめて書きたいな~と思って真剣に記事を書きます。真剣だけど自分が増幅させているところが多すぎて、怪文書になった。

 

そもそもシチュエーションCDというジャンルが今はもうすごい衰退しているのでは…?7年前の作品だし……と思っています。どうしていつもこうなんだろう。

シチュエーションCDというのは、キャラクター(声優)がダミーヘッドマイクに対しすごい語りかけてくるCDで、Rejetの作品だと命の危険があったり怒鳴られたりする。内容は以下の引用が的確だと思う。 

酷く汚い言い方をすれば「オタク女性向けの間接的/代用ポルノグラフィ(というか時としてオタク女性用ポルノそのもの)」

乙女ゲーというサバルタン 岩崎大介と声優とキャラソンを取り巻く環境について - ガクショウ印象論壇

 乙女ゲームをほとんどプレイしないのでリップ音多用、聴覚に特化したシチュエーションCDの方がかなりポルノなのかなと思うんですが、どうなんでしょうか。

自分自身、自分の身体や意思に関する感覚というか意識が通い始めたのが大学に入って2年経ったくらいだった気がしています。それまでの過程で何も考えずともひたすら運搬されることの楽さ・好かれたい相手(少なくとも自分を嫌ってもいない)に求められる役割をこなし、充足することの断続的な気持ちよさは異常でした。上のツイートで書いたお人形になりたい気分、誰かが大きな流れで押し流してほしいというのは、漫画「窮鼠はチーズの夢を見る」で大伴が語っていることも似ていると思います。現実としては好ましくないとされる異性愛の形は、媒体を問わず安全なところから楽しめる逃避先として一定数にきっと今後も支持されるんだろうと予想している。

聞きながらこういうことを考えてた。本題ではないけどおもしろくないですか?いつも全ての事象を真剣に考えすぎ…。少女が生身の身体に対する嫌悪感を抱くみたいな話はコミュニケーション不全症候群に登場します。これは初版がちょうど30年前なのですが、今現在のオタクカルチャーを観察しながら書いたかと思ってしまう。必読…。

 

 怜さんについて

まずこれを書くに至った怜さんのお話で好きなところを挙げます。全部ネタバレ。

本人が明らかに主人公(オーナー)と自分をモデルにした戯曲を書いているけど、自分は主役の器じゃないし演じさせるなら自分じゃない人にするよと言っている。なのに作中での怜さんは自分の戯曲をなぞって行動していて、父親から与えられた役割を実行しつつ主人公と幸せに(彼の幸せは死なのですが…)なることをきちんと願っているところ。自分の人生を物語として捉えていて(もしくはそうとしか認識できず)、文字通り劇的な結末を迎えたいと願っているというのに心当たりがありすぎる。

引用してくる。自分の言葉で愛を語れないの、身に覚えがあるし本当に好きで…。星見純那も言ってただろ…。でも最後になると主人公の力を借りつつきちんと自分の言葉で、自分の戯曲に逆らって動くので本当に良い。

手の上なら尊敬のキス。額の上なら友情のキス。頬の上なら満足感のキス。唇の上なら愛情のキス。
閉じた目の上なら憧憬のキス。掌の上なら懇願のキス。腕と首なら欲望のキス。
さてそのほかは、みな狂気の沙汰。(グリパルツァー・接吻)

引用もそうだし、ちょっと掘ればモデルになった実在の作家が分かりそうな程度にぼかされて登場するのも好きでした。この人かな…。あと登場する薬物はモルヒネっぽいです。わざわざ調べた。

ジャック・ロンドン - Wikipedia

なんせ怜さんは学習院(当時はほとんど華族向けの学校)在学の文学青年なので、古今東西の書物を読み漁っていそう。自分について悩んでいるならなおさら…。そしてCDに付属する公演案内(紙ジャケット)がハムレットなのも良いです。to be or not to be…もういい加減きちんとシェイクスピアを読めということ…。ちなみに耽美主義に傾倒しているという設定なので、怜さんも読んでいると仮定して有名どころボードレール悪の華を読み始めた。どうしてそういうところしかマメじゃないんだ。

セリフが冴えてる。

 

濡れてぐちゃぐちゃにまみれた方が、お互い、より曖昧になれそうだろう?(第八幕)

わたしは毎日顔を合わせている他人のことが好きなとき、常に自他境界がガバガバだったので相手そのものになりたいと思うことが多かった気がする。このセリフが刺さりまくった。

怜さんは病気の母親が苦しんでいるのを間近で見て生を不幸だと感じるようになったという背景があり、死にたがっている自分を受け入れて主人公と一緒に死んでほしいと思ってるのが基本っぽい。主人公がその希望を否定せず、でも自分は怜に生きててほしいが…と伝え続けたのでとりあえず今隣に主人公がいてくれるのであれば死なないでおこうかな~みたいな感じで終わる。

怜さんは度々幼なじみである主人公に対して、昔から変わらないねと言ってくるのですが、彼は不変である無邪気な・言い方を変えれば陽の思想を信じている主人公の存在に安堵しています。それでも自分を理解して、自分の信じることに同調してほしいとも望んでいてなかなか複雑。怜さんは自分が惹かれていた主人公の特性を、自分が強要した変化でぶち壊しそうになったことに気づき、主人公に影響されて少しだけ変化することを選びました。

ねえ、またおれが滅びの道に憧れたら、お前はおれを止めるかい?それとも受け容れてくれるかい?(第八幕)

それでも人間の根っこにある考え方を簡単に変えることはできないし、考え方も行動も揺らぐものだってきちんと言ってくるシナリオが本当に好き。今がどうしても厳しくても、自分に向けられる感情があるうちは、隣で並び歩く人がいる限りはなんとか立っていられる。幸せは人それぞれだけど、と前置きして怜さんの幸せについて語られるのも丁寧で好き。

そもそもこの世に生を受けることが苦しみだという考えは昔からあるし、四字熟語の四苦八苦の「四苦」は生老病死です。仏教に思いを馳せる。でもやっぱり終始love or deathじゃなくてlove and deathを掲げてくる作品、何?自分にとっては、人間の解像度が高くておもしろいのに女性向け・乙女系と総称される中でもかなり受け手を選ぶ作品として展開されているので混乱する。だからこそキレまくりのシナリオにできるというのはあるんだろうが…。

世の中の全てがどうでもよかったし、終われる瞬間が唯一の安らぎだったのに。(第八幕)

この部分が現代の軽めの文章っぽくて好きでした。超個人的好み…。~とか、~とか…みたいに4つくらい並列をするのが自分もよくやるし…。ほしのこえにもありました。ほしのこえの漫画をわざわざ読み返したのは、怜さんが主人公がいなかったら自分の世界は終わるという感じの雰囲気を持っており、めちゃくちゃ語ってくる感じがセカイ系だな(厳密には違うと思う)と感じたからでした。一生平成の萌えでしか好きなものを語れない。

このシリーズは他のキャラクターの場合も関東大震災がターニングポイントとして置いてあり、さながら舞台装置の転換、様々あった史実を単純な装置としている。正直いいのか?とは思うのですが、でもこの人たちそのくらいの出来事がないと動じなさそうだしという妙な納得感がある。これがRejetの男。よくRejetの男は~・が~って言うんだけど全然初心者なので、あまり信じないでほしい。でもお茶を淹れてあげるよって言う人間を信用するな、という警戒心を会得できるのはRejetだけだというのは断言する。

ただここまでで作中での関東大震災の扱いを説明しておきながら、怜さんの場合はそれも経験しつつ、自分の所属している大帝國劇場を燃やすのが物語の転換点になります。怜さんの放火は主人公への試し行動ですが、結果的には主人公と自分との間にある問題を無理矢理この世から抹消する行為になります。後々この火災で怜さんが脚本の執筆に使用していた万年筆(消して書き直すことができないツール)と父親との関係を象徴する権利書・先にも登場した脚本が燃えて、鉛筆(消しゴムで消して書き直すことができるツール)主人公に買ってきてもらう場面がある。わざわざそう明示してくるので、もう放火で全て燃やして家族のしがらみからも逃れて生まれ変わった、その生まれ変わった人生(しかも今後いかようにも書き換えられる)をもたらすのが主人公であるという解釈で間違いないと思い込んでしまった。好きすぎる…。わたしも鉛筆買いに行きたいです。

ごちゃごちゃ書いたけど、一言にまとめれば怜さんが自分とあまりにも似ていて好きでした。わたしは積極的に死にたいよ~と思っているわけではないが、とにかく自分が気に入った(執着した)相手にわかられたいみたいな欲望と好きを取り違えてきたので、怜さんもたぶんそうなんだよなと共感していた。劇場に放火する場面前後で主人公に対して何度もわかってくれないって言ってるの本当に好きだなと思いました。そもそも人間はわかり合えないのですが、そう思って絶望してしまっていること含め受け容れられたいという願望がある。発売されたのが前すぎて、1人で騒ぐのが切なくなって他人の感想を片っ端から読んだのですが、セックスしてない!みたいなのがありそれも好きなのかもな~と思いました。全部自分に寄せた憶測ですが、主人公からの受容が彼にとっては救いであり幸せなので、他人からすれば無価値かもしれないけどそれ以上望むものはないならそうなるんだろうなと納得した。すぐこういうのを熟語で表したくなってしまうのですが、怜さんは拘泥と交感でした。

 

 真理CDこと参邇くんについて

何?「こんなこともう止めろ」ってまだ言うの?なんで?は?俺が心配?なんだよ同情したわけだ。平民の自分(=主人公)より?ずっとかわいそうな暮らしをしてきた子がいるって、哀れんだんだ?そういう偽善、虫唾が走るって言ったよな?(中略)これだから嫌なんだよ、女も男も、誰も彼も。あんたの哀れみは、自分が悦に入るためだけの飾り言葉さ。俺はな、あんたみたいないい人面した人間が1番嫌いなんだよ。(第参幕) 

この部分以降のトラックはずっと真理なので、このCDを聞いている人間はフィクションと言えど、他人のことを哀れんでそれを消費している自分に気づいて深く反省します。初めてこの部分聞いたとき部屋で体育座りして、すごい反省した。見透かされています。人間は浅ましく低俗な生き物です。他人と比べることでしか自分の幸福を実感できません。少なくともわたしは…。

 

参邇くんは1枚目の序盤からかなり当たりが強いのですが、彼の言わんとするところは分かる。普通女学生は劇場のオーナーになんてならないもんな。彼の言動や行動の背景説明が挟まって、後半に冒頭のセリフが登場するのですが、聞き手への信頼がないとこんなの書けないと思うし、こっちはキャラクターに本気なので、キャラクターを作る側も本気でこちらを潰しにかかってきている。人間と人生を問うてくる作品が大好き。

俺の気持ちが分かる?分かるわけないだろ。知りもしないのに言えるわけ?俺の生き方が間違ってるって。どこが、間違ってるっていうのさ。俺が本当は傷ついてるって?笑わせるなよ。そういう奴が1番嫌いなんだよ。俺を知ったつもりになって満足してるようなあんたみたいな奴が。端から俺を知ろうともしないような奴らより、ずっと、ずっと腹が立つ!何も分かってない癖に。

(中略)

なんだよ?なんなんだよ?こんなにされてまで(主人公はここまでに泥水を飲めと言われたりしている)まだ言うのか?俺が本当はお屋敷(身売りをしている相手の家)に行くのを嫌がってる?辛いと思ってる?馬鹿じゃないの?俺のどこが傷ついてるんだよ。違う、俺はこの生き方に満足してる。黙れよ。黙れ!あんたに俺の気持ちが分かるわけない!俺が誰で、どうやって生きて、何を思っているのかなんて本当はどうだっていいんだろう?(第四幕)

参邇くんの語りは終始作中の主人公を通じて、聞き手として存在する現実の我々を揺さぶってくる。萌えるために生み出されたキャラクターが、彼に付与された「薄幸の美少年」みたいな記号を消費することを拒否しているようにも感じられ非常に居心地が悪いです。この語りを聞いていると、頭に畜生道とかしか浮かばない。もしかしたら聞き手は参邇くんにも共感しているのかも。Rejetの作品と先行研究はたくさんあるので最近のシリーズでもキャラクターへの記号付与に対してシビアだと知りました。以下は2021年まで続いているディア♥ヴォーカリストに関する説明。

③ヴォーカリストが“役割記号”を放棄しているところ

たぶん個人的にここがトップクラスに好き。
冒頭で挙げたアンケートのように、ヴォーカリストには作劇上の役割記号が存在しません。

『ディア♥ヴォーカリスト』は誰が“主人公”に見えるのか:ディアヴォ5周年に愛を込めて | ツゲにツツジを接いだそれ

何かに「名前を与える」ことは議論・思考する上で非常に便利なことですが、行き過ぎてはいけないと常々思っていてまさに参邇くんが言っているのはそういうことだと思います。彼は名前を与えられた総体の一部としての自分を捉えてほしいのではなく、目の前にいる人間の彼の個別の事象を見て欲しい。人間のことを語るときには、人間を見て話さなくてはならないです。

ひたすら繰り返される参邇くんの言葉の通り、人間と人間の分かり合えなさもきちんと描かれているのが好きです。相手から提示・開示された情報のみを、あくまで受け入れるだけしかできない。人間はいつも孤独です。

参邇くんが野良猫に餌をやる場面に差し込まれるセリフに、以下のようなものがあります。本人は意識して言っているのか定かではないですが、自分自身に言い聞かせているようにも取れる。どうしてこんなにシナリオがいいんだ…。

お前もそんなんじゃだめだよ。自分から取りに行かなきゃ。いつまで経っても餌にありつけないぞ。(第伍幕)

あんた、何言ってんの?まだ自分の身体は大切にしてなんて説教垂れるわけ?本音では俺を売って解決したいって思ってるくせに。上っ面だけ取り繕ったって無駄だよ?いい加減正体を見せてみなよ。人間は所詮、皆同じ穴の狢なんだ。(第参幕)

なんで離さないんだよ…。血も、出てる癖に。もう、消えろよ。行けよ!さっさと俺の前からいなくなれ!どうして逃げないんだよ!行けって言ってるじゃないか!(第四幕)

主人公が物語の後半で全然折れない・自分の知っている世界や常識では考えられないようなことを説いてくるのに対し参邇くんは偽善だろ?と言い続けているのですが、次第に恐怖を覚えている様子です。この部分が非常に描写として現実的なので好きで、人間は自分には得体が知れない感情や言説に触れると恐怖を感じるんだよな…としみじみ考えました。全ての争いの根源じゃないですか?でもそこで対話をあきらめないのが大事で…とすごく飛躍したことを考えてしまう。

テーマ曲が好きとか、言い回しがお決まりの「お仕置き」じゃなくて「お灸を据える」なのが好きとか色々あるんですが、長くなるのでほとんどシナリオとキャラクター設定について書きました。

落としどころが分からないですが、人を選ぶジャンルなので聞いてくださいとも言いづらい…。残りの2人分(続編を含めると3人)も近いうちに手に入れます。7年前の作品だけど、舞台が大正時代なので今聞いてもガラケーではないんだよな…もう…とか余計なことを考えなくて済むところも好きでした。デカい主語を使うと、そもそもオタクはフィクションの大正時代が好きだし…。なぜかRejetのCDをノリで買ってみてから1年半くらい経って、間を空けてノリで買ったCDに惚れ込んでこんな分量を書くことになるなんて思ってなかった!どうして?

きちんと追ってないんですが、最近の好きなRejet楽曲を貼って〆ます。

EROSIONの方はイントロだから短いんだけどかっこいいです。

(INTRO) Vigilante

(INTRO) Vigilante

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 浅い夜に耽る。は試聴から気になってた曲。勢いで楽曲だけ買って、聴くのか…?と思ってたけど割と聴いている。声・キー・曲調全てが完璧に合わさってしまっていて革命が起きています。スクラッチ音が入る曲は良い曲の法則。でも曲ってキャラのこと知ってから聴くべき。分かる。

浅い夜に耽る。

浅い夜に耽る。

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