211120日記

日記です。「宮沢賢治―存在の祭りの中へ―」を読み終わりました。

前も載せたが、見田宗介

宮沢賢治: 存在の祭りの中へ (岩波現代文庫 文芸 35)

を読んでいる。

様々な創作の根源としての宮沢賢治の存在に興味があったのと、見田宗介の文章が好きなので読んでいる。宮沢賢治の作品はそもそも読んだことがあまりなく、読むきっかけになればと手に取ったのだが、高校生とかにも読みやすく原典を示したいという思いがあったようで引用が多く登場する。名作選みたいな文庫も1冊買ったが、基本的にふんだんな引用に基づいて話が進むのでまだきちんと開いていない。

こんなことを書くのも図々しいが、自分が幼いころから考えてきたことや、やっとどうしたいのか20代半ばになってはっきりしたことが、著者によって賢治の人生や作品を読み取り・換言され書いてあった。よくあることだが、自分が悩んでいたこともわかったと感動したことも、既に哲学者や詩人そのほか過去のひとびとによって体系化されている。

宮沢賢治の作品に通じて登場する滅私奉公の精神というか、圧倒的な自己犠牲と他者への奉仕の心がうまれたのは結局商人だった賢治の実家について彼が悩んだからこそ。賢治が作中にも描いた思想を実践する際に、その助けとなったのもまたその実家だったという。他にもりんごや大人と少年であることなど、色々自分には好きなところもあったが最速最短でまとめるとそういう本である。これはあくまで最速最短なので興味を持ったら実際に読んでほしい。

自分がぼんやりとしか記憶していないくらい昔に触れた作品に対して感じたことと、今の自分の性質・考え方が一貫しているとか、そういうことがよくある。当然ながら自分という存在がどこまで「自分」でどこから「自分以外」かというのは非常にあいまいである。色々考えていくと自分の性別への意識なども過去に触れた作品などと、何かぼんやりとした自分の好みみたいなものによって編まれた、編み物みたいな気がする。

というようなことを、おもしろいなと思って振り返りながらもっと具体的に書いてみている。そこには含まれていないが、思い返してみるとおもしろいのが、自分が幼いころのことで覚えているのは同級生との会話とかではなくて、そのときどの作品のどのキャラクターが好きだったかとか、人があまり来ない花壇の金魚草が揺れているのがきれいだったとか、校庭の隅にあった日時計の連続性に興味があったとかいうことなのだ。自分の世界に入り込んでくる他人が少なすぎる。入り込んできた作品はたくさん挙げられるのに…。

小学校の図書準備室で給食の準備を無視して読んでいた本などです。

ロボットVS.人類 (SFセレクション)

ロボット三原則

変身願望 メタモルフォーゼ (SFセレクション 6)

ぼくはおんなのこ(志村貴子)

星新一ショートショートセレクション(全15巻セット)

20世紀の戦争 沖縄地上戦 (母と子でみる)