日記・出会いと別れについて/星が光っていると思っていた

何がどうなってか分からないが何年も前に声をかけてもらったひとがいて、そのひととの縁(相互フォローってこと…そんなものを縁と呼ぶのか?)が切れて数か月経った。もしかしたらこれを読むかもしれないし読まないかもしれない。そもそも何が相手に響いたのか自分としては不明だったし、わたしも相手のことをすごいなと思って微妙に線を引いていたなと今では思うからそこまでフラットな関係ではなかったのかもしれない。そういうことを今言えてしまうのは薄情だなあとも思う。好きだったし今でも気になるのであれば凸ればいいのだろうけど、それは迷惑だろうと思う。あきらめてしまう。あきらめの根底にあるのは、自分が他人に評価されたり好かれたりする人間ではないだろうという意識である。

ひとりだな~と思う。ひとりというのは、別に誰かと結婚したから、一緒に住んだから解消される状態ではないし、そもそも解消されないもので自分には向いていると思っているのだけれど、久しぶりに自分に似ている(?)人間の恋愛小説を読んだからか落ち込んでいる。(美しい彼です。)自分には死ぬまで自分を最優先にして怒ったり笑ったりしてくれる他人は発生しないんだろうなという予感が、別に普通の線の上にあったはずなのに、落ち込む側の領地にはみ出してきてしまった。小山が毒づきながらひとりで楽しく暮らしてくれないと、今のあたしの魂は救われない…。ていうか小説賞の要項読むのがおもしろい。角川ルビーはこんなんだった。

男性同士の恋愛をテーマにした作品で、明るくさわやかなもの。
未発表(同人誌・web上も含む)・未投稿のものに限ります。

角川ルビー小説大賞 | 角川ルビー文庫 | KADOKAWA

明るくさわやかなもの…なるほど?!って感じである。

頭で別れ(?)のことを書いたのですが、出会いもまあ毎年一定数あってお会いしたりお話したり騒いだりすることも増えた。昔も就活中不元気の状態で現場行きたいな~って書いた文章とか、DJイベントのプレゼンコーナーとかで今まで続く友人に出会えたりしたのだが、最近またブログだったりTwitterだったりがきっかけで知り合うことが増えた。わたしがけっこうマメに色々書くようになったからである。ジャニオタやってたころは大規模アカウントをフォローしても別に友人は増えず、他のジャンルに移動してからはこちらから好きだな~とかいいな~と思ってリアクションすると反応がもらえることが多くなった。ジャニオタは玉石混交であり、みんな警戒心が強いという印象を受けるエピソードかもしれない。最初に書いた話に戻るのだが、そうやってまたコミュニケーションを取りたいと思うのであれば自分で何か行動すればいいだろうと思うのだが、それがもうできない気がする。相手に伝える好きとか言葉はあるけれど、それが相手にとってうれしいものかはわからない。

戸塚くんのソロ、すごくよかった!!!「星が光っていると思っていた」戸塚くんは演劇のひとだったなあ、そうだった!と思った。彼の使う言葉は重なっていて、相手にとってどこかに腑に落ちるものがあればいいと思われて構成されている気がする。ブログとかもそう。張り巡らされた網のどこかで相手を受けとめようという思いが強い。ぶん殴られたかと思った。殴られたことないけども……。楽しいコンサートでした。