日記・アイドルは恋愛を歌いすぎるなど

Vanilla好きって言いがちなんだけど、歌詞が好きかって言うとそれはなんだか…という気持ちになっていた。井手コウジの音はかなり無条件で好きだから歌詞を真に受けているわけではない。

歌詞(作り手)のイメージするアイドルと、わたし(たち)が好んでいる部分が合致したらおもしろいんだけど、自分たちで詞を書くグループや、なじみの作詞作曲家がいる(キンキとか)以外はそういうのってあんまりないのかも。適当言っている。このギャップってまずアイドルに対してみんなが恋愛的に好きだと、そういう誤解から生まれているだろうと、そういうことはもうこれまでにさんざん語られているだろうな。

みんなの好きが豊かに認められたらいいな~~と思った。少クラのBlack Sugarの録画をみていたときは別にそんなことを考えたわけではなかったのだが…。ただ、こういう歌詞の曲を踊るアイドルに見入っているというのは客観的にみたらハーレクイン(ここでVanilla…)を読んでいるのと変わらないのでは…?みたいなことを思っていたのでした。テレビをみている自分の姿と、自分の思っていることの乖離というか、誤解されたくないな~と思う根底に、いやこれを好むように仕向ける側(作り手)にも悪意がねえか?!と思う気持ちがある。

昔ジャニーズが好きだったひとたちはどう扱われてたのかな?例えば誰かの「○○くんになりたい」という意味とか、「発言が知的でかっこいい」とかの込められた「好き」がかつて存在していたとして、それが全て恋愛的に?結婚したい的な?「好き」だと雑に扱われたことだってきっとあったんだろうなと想像する。

「顔が好き」とか「顔がいい」というのは、歯に衣着せぬ感じで、これまでジャッジされてきた多くの女が、男性俳優や男性アイドルに向けて使うことで、構造の転換ぽく一見いい感じなフレーズだった。たしかに自分も「これはさすがに顔がいいとしか言えないな~」と思って使うことがある。自分(たち)としてそれを良しとしてしまうのは、それまでに自分(たち)がその他のことについて十二分に語ったという自信があるからだと思う。でもそういう文脈とかをぶった切って、ひとりでに走ってしまうのが強い言葉であり「顔がいい」である。ジャニーが死んだときに、ワイドショーでテリーがみんな顔ばっかり見ててみたいなことを言っていたのを思い出してしまう。

ジャニーズファンは「顔しか見てない」は大きな間違い!! テリー伊藤の失言に猛反論 - wezzy|ウェジー

顔もたしかにみているのですが、まあ顔だけで1万円~のチケット買って2時間傾斜のゆるい帝国劇場には行かねえよと思うのだ。みんなそれぞれアイドルのいろんなところが好きで、ちょっと嫌いなところもあるかもしれないし、そういうのを含めてみている(明確に言葉にしたり、自覚してみているかはひとそれぞれでしょうが)はずなのである。それを一言でオシカツとか、ガチコイとか、ヌマとかそういうふうにまとめて片づけられるのはわたしは嫌だし、てめーらが勝手に語んなと各種メディアに対して思う。というかメディアがおたく行為をする人間たちから言葉を奪っていると思うよ…。

語る!!!と思って語っているわたし(たち)みたいなめんどうな人間以外は、別に言葉にしなくてもいい、ぼんやりと思っていた「好きなところ」を調理済みの盆に乗った言葉に収斂させることになってしまうのかなあと思います。わたしはそれがもったいない?悲しい?ちょっとさみしい。まあシュレディンガーの感情かもしれないが……(シュレディンガーの○○にはまっている)。別に語らなくてもいいけど、個人の感情がなんか大きいものにのまれてしまうのがわたしは嫌なんだな。でも、その状態が居心地いい人は別にそれでいい…と思います。その姿勢はあまり好きではないけど…。

ていうかわたしはガチ恋になって真剣に業界に入ったりできないと思うので、ガチ恋で行動できるひとってすごいな~と常々思っている。ガチ恋という単語が世間に認知されてガチ恋がばかにされたりしているのかと思うと、わたしはガチ恋として曲を聴いたりしているわけではないのに悲しくなる!急に辺鄙なところで勝手にガチ恋のひとを応援する謎の人間になってしまった!おしまいです。もっときちんと掘り下げたいかも。長い日記になりました。