高校の話

7月に高校の部活の同期と会った。新宿御苑の休憩所で凍えながら、結婚した男の妻へのささいな不満とか、最近の仕事の話をだらだらしていた。この男というのがわたしが高2とか高3のころに執着していた人間で、わたしのことをわかってくれるのは相手だけだと思ったし、相手のことをわかっているのは自分だけだと思っていた。思っていたが、大学が決まるころには全然そんなことはないと気づいたし、人間はひとりだな~というのだけがわかったのである。

それでも、それから10年経ってまた、相手の妻への不満について言わんとすることを先回りしてぱーーーっと話してしまってから、しまったと思った。そう思ったのは相手の反応がかなりよく、そう、そうなんだよと相づちを打たれたからだった。その場には自分たち2人以外にも同期がいる。部内でこいつらの関係は不穏だと思われていたとは自覚していたので、既婚の人間相手に謎の分かりムーブをかましてしまったのはあまりよくないのでは…というそのくらいの後ろめたさはあった。それでも、10年前の自分は相手のよき理解者でありたい(傲慢である)と思っていたし、この先いつでもいい、自分を選んだらよかったなと一瞬でも後悔すればいいと思っていたので少しうれしかった。あと全く記憶にないことを高校生のときからずっと持論として話していると指摘されたので、今も昔も自分はぶれていなくて、しかもそんな相手が自分も覚えていないことを覚えていることに驚く。

わたしはずっと誰か1人でも会ったこともない人間でも、相手が自分のことを覚えていてくれたらいいなと思っているので今回書いたようなことがあって、それだけでいいかなと思った。「いい」というのはもう結婚もしないだろうし貯金はないし、一般的なライフイベントをこなしていない人間だがいつ死んでも悔いはないかなということだ。10代のころずっと考えてアメブロに病みをつづり、不穏なふるまいをし続けて落ち込んでいたことも無駄ではなかったと思うことにした。