ののはな通信を読んだ
これの続きかな?後でしっかり書きますがひとまず。
タイトルで検索したときに出てくる、「百合」ってサジェストはなんか違うんだよな~と思う。一瞬girls' loveではあるけれどそれだけに限定した話ではなく、タイトルにしたように、そこから先の話が主だと感じる。BLでもなんでも付き合ってor結婚して、それでめでたしなことが多いけれどその主人公たちだって2人だけの世界に生きているわけではないし、いつか道を違えるかもしれない。そうなったとき、それぞれの仕事も暮らしもそれまでに出会った、特に深い関係にあった大きな影響を受けた相手は必ずそれぞれの中に存在しているはずである。「名前がいらない」(これは文庫版解説の辻村深月さんの言葉です)関係に変容していく、括ることができないわたしたちの物語を「百合」と一言で語ってしまうのは暴力にも等しいと思う。
これまで出会った(あこがれた)全ての女の子が、わたしの頭の中に順番に登場してみんな元気かなと思った。今付き合いがある子も、もう全然連絡を取らない高校大学の子も等しく自分にはまぶしく、全員に好きなところがあってうらやんでいた。自己評価がすごく低いわけではないけれど、自分にはどうしても欠けている育ちのよさ的なものとか、人望とか忍耐力とか単に偏差値とか賢さとかその他色々は全て他の子のところにあって、わたしはずっとそれが欲しい。そういうことは何をしていてもどんなときにもわたしの頭の中にあって、昔はそれでかなり落ち込んだけれど、環境が変化してそういうひとたちとも距離ができた。今はそうやってたまに出会ったひとたちのことを思い浮かべるから自分が動けるんだとも思う。
はなが自分の中から愛は涸れてしまった、もう他人に愛を与えても何も減らないというようなことを手紙に書いている(そもそもこの小説は「のの」と「はな」の手紙やメールでのやりとりで展開する)のを読み、わたしも自分の中に誰かや何かを熱狂的に愛する気持ちはたぶん残っていないなあと思う。わたしがやってきた音楽も勉強も他人に思い入れることも全部、好きだけれど自分の運命ではなかったなあと常々思っていて、だからこそいろんなことができるようになりたいと考えるようになった。器用貧乏というらしいが……。
別れてしまっても、ののとはなは幸福だ。運命を確信を持って受け取って、それが運命だったと両者が認識していて、さらにお互いに相手のことがうらやましかった、相手になりたかったのだと告白もする。この物語はわたしが探していたハッピーエンドで読んでいる間も読み終わってからもすごくうれしかった。