230115

日記

自分は何を好きになっても、どんなに怖い試験があっても嫌な作業があっても時間が過ぎれば必ず終わると思っているから安心して挑めると思っているんだなと感じる。悲しいことである。それは今のわたしの中でのアイドルブームの終わりに伴い、過去に買ったグッズをフリマサイトで売りさばいているから顕著に感じるのかもしれない。買うときあんなにどきどきしたグッズも、今はただ物質で誰かの手に渡るのを、物の多いわたしの部屋で待っている。

全部いつか終わるから、終わったら自分のことを、その他のことを、仕事のことを、考えてやればいいと常に思っている気がするけれど、一時停止なりブレーキをかけるなりして自分のことを考えた方がいい。何がというと常々言っているように転職したいなということである。これまで自分が大学まで勉強したこと・会社に入ってできるようになったことが果たして転職市場…ではどのように評価されるのだろうか。新入社員研修で1番PC操作に慣れていたから情シスに配属されたらしいが、そんな配属ってありなのか?それで楽をさせてもらったことは50000回くらいあると、わたしの業種・他部署比では思うけど、その分今の年次で負うべきなのか分からない責任とかが発生している。そしてきっと他の部署では感じないのかもしれない、年次・立場が上の人間のやることに閉口することが多い。

自分ができることを他人にも求めるというのは、少なくとも、同じような立場の人間に対してはやりすぎてはいけないと思うが、先に述べたような人間たちはそれくらいのことを学ぶ時間も経験もあったろうといらだつのである。自分と気の合う経理にいた人が、わたしの母よりも少し若いくらいの年齢で転職していったのが自分も転職した方がいいとしみじみ考えさせてくれるきっかけだった気がする。彼も道理と当たり前のことを当たり前にやることを重んじていた気がする。これを打っていて、情けなくなって泣けてきた。転職したいと書きつつ未だきちんと活動できていないのは、自分が今抱えている仕事が大きすぎて、途中で抜けるのがあまりにも無理そうだからなのですが親には別にそんなの知ったこっちゃないだろと言われており、工程表を見つつそれ通り手を離して自分のことを考えられるようにまた、いつか終わることと思いながら作業するほかないなと思っている。