230116

日記

 

こういう立場であればこの人間をフォローすべき的な、Twitterの「この人をフォローしている人は他にも…」的なサジェストのような空気があると思う。誰も自分にサジェストしているわけではなくても、そう感じられる。まあそう感じられるだけでわたしは自分が苦手だと思ったらその部分を自分なりに整理して、その周りから離れるのであまり関係ないのかもしれない。しかし、それがきっかけで友人を失ったりしたらどうしようかなとも思う。いや、それは会話して解決すればいいのかもしれないが、今自分が主に使用しているSNSで交流(お互いの流行を見守り合う)している友人・知人の大半とはもはやいる場所が地下と地上5Fくらい(ジャンルを追ううしろめたさ的な…感覚)違っている気がして、なかなか会うこともないし、切れたら切れっぱなしの関係だろうと考えてしまう。

このごろ明確に感じるのは、自分は間違いなく男の子になりたかった女で、男(鳳暁生と書けば伝わりやすいかもしれない)にはなりたくなくて、でもそこまで自分に頓着しなかったから(それだけ悩むことなく幼少期を好き勝手過ごしたのでしょう)まだ女のまま生きているだけの人間だなということである。そして、今さらというか、そこまで強いこだわりがないから今後男になりたいとも思っていない。かなり中途半端である。

自分は昔から好きな人間に、なりたいと思う。それは自分がなりたいのが男の子だから、女→男の感情の主なものが「好き」だから、自分でも相手が「好き」だと思い込んでいただけで単に「なりたい」・「理想としている」・「あこがれている」でよかったのかもしれない。そしてなりたいのは本当に脱臭された、アイドルだったり俳優だったり、整えられた男性でしかないため、であれば女でいる方がまだ近いのかなと思っているんだろう。

ここからかなり砕けた話です。これをはっきり感じたのがさんざん書いてきたゲーム版土方√の強烈な違和感によるもので、恋愛にパラメータが振れていくとだんだん好きだった土方さんではなくなる。乙女ゲーム (恋愛するゲーム)なのに、一方的に自分がなりたい人間を相手に見出しているため、違和感を持ってしまったという悲しい例。千鶴のボイスつけてくれ!頼む!でないと自分が恋愛している気持ちにめちゃくちゃなってしまうので……。まあでも、そこまでの過程で千鶴を扱う様子が異常に好きで、自分の救いになるから土方のことはなりたいし、好きなのかもしれない。この、男にはなりたくないが同格で扱われたいみたいな身勝手な願望を叶えてくれたのがまほろばかなただったのでいたく感動したのですよね。

土方は「まがい物だろうとなんだろうと、貫きゃ誠になるはずだ」と言ってくれるので、全然関係ないところで、全て中途半端だなと思った自分が救われている。結婚がしたくないのも、彼氏が要らないのも未だ自分が不足しているせいで、通常であれば必要になるはずだと、そう世間が言っているような気はする。だからただでさえ感じている中途半端さ(興味散漫・器用貧乏…)に加えて、自分がずうっと半端者だとどこかで思わざるを得ない。それでも自分が好きな・あこがれる人間がそう言うなら今のまま自分のできることをやるほかないんだよなと思える。わたしに大義はないし、アクティビストになることもないし、ないけどただ勝手に中途半端にへらへら生きることができるとサンプルになれたらよいと思う。相手がたとえ史実のいいとこどりのゲームの人間であっても、相手との恋愛には挫折しても、今出会えて本当に救われた。