10月の記録です。リンクも調べた内容もまとめられるのでノートとして使いやすすぎるという気づきがあった。冒頭のワイツゼッカー抜粋が長すぎるので目次をつけました!
本
東京新聞出版局・1995-改訂新版 心に刻む歴史 ドイツと日本の戦後50年-ワイツゼッカー前独大統領講演全録
心に刻む歴史―ドイツと日本の戦後50年 (東京ブックレット)
東京新聞主催・外務省など後援、1995/8/7国立教育会館・虎ノ門ホールで行われたリヒャルト・フォン・ワイツゼッカー(第6代ドイツ連邦共和国大統領)の来日記念講演の記録。講演を聴いた著名人からのコメントもあり。第二次大戦後のドイツのことを知りたかった。戦中のことも小中のころ読んだだけなので色々探して読みたいです。
印象に残ったところを抜粋
pp17, 18 他民族大陸のドイツ
十九世紀末ころ、民族(ネイション)という有機的で理性的な理念が、危険で倒錯したナショナリズムに姿を変えていました。隣り合わせた民族への不利益は自らの民族への幸運として受け止められることになりました。(略)今日、ドイツはヨーロッパ連合(EU)と大西洋条約機構(NATO)の一メンバーであります。どちらの組織も、かつてはもっぱら主権国家が握っていた重要な権限を引き受けています。国境線は以前ほどには鮮明ではなくなっています。統合が実現しつつあるヨーロッパ連合では、「ヨーロッパ」が国家理性(レーゾン・デタ/自国の利益を最優先する国家の基本準則)なのです。国家理性を純粋に国家(ナショナル)のレベルで定義することはできなくなっています。
pp19, 20 過去に学ばない者は過去を繰り返す
過去は、歴史であります。しかし、過去はただ(傍点)の歴史にすぎないのでしょうか、それとも現在でもあるのでしょうか。過去を解釈するのは歴史家の仕事で、ドイツでも日本でも歴史家たちはそのことで論争をしています。しかし、過去の解釈とは歴史家だけ(傍点)のものでありましょうか。われわれ両国の政治家や精神的指導者たちも参加する責任があるのではないでしょうか。
私は「ある」と確信しております。
(略)
自らの歴史と取り組もうとしない人は、自分の現在の立場、なぜそこにいるのかが理解できません。過去を否定する人は、過去を繰り返す危険を冒しているのです。
こうした洞察から適切で責任のある結論を引き出すまでに、ドイツ人は困難な道を長く歩んでこなければなりませんでした。
(略)
しかし、戦争の原因と結果を率直に、タブー視することなく直視する必要が認識されるようになりました。とくに一九六八年の若者の反乱もあって、以後過去の犯罪が容赦なく議論されるようになったのです。
68年闘争 68er Bewegung
1968年は政治の季節と言われる。西ドイツで大 規模な反体制運動、フランスで五月革命、米国では激しいベトナム反戦運動が発生。チェコスロヴァキアでは「人間の顔をした社会主義」の試みが始まったが、ワルシャワ条約機構の戦車によって潰された。68年に至るまでの背景にも違いがある。西ドイツでは63年末にフランクフルトで始まったアウシュヴィッツ裁判を契機に、戦後世代が父親たちへの詰問を始めていた。ナチスにどの程度協力したのか、民族虐殺を知っていたのか。彼らにとって父親世代は、今も過去の認識から目をそらすファシストたちだった。
pp22 「5・8」敗戦は解放の日
ドイツのヨーロッパ共同体(EC)への加盟も、またその後のNATOへの加盟もなんの問題もありませんでした。戦争によって起きた諸問題を克服するため東側の隣国、とくにポーランドとは条約が結ばれました。精力的な青少年交流計画も推進されてきました。(ポーランドとドイツの間などの)教科書委員会が、若い世代が自分たちの歴史について共通の統一された見解をもつように、という課題に沿って努力しています。人間同士、そして国民同士が和解するにいたったのであります。
pp24 ナチスの支配は例外的な異常な局面
すでに述べましたとおり、ドイツにおけるナチズムの支配は、その成立にあたって部分的にはヨーロッパのナショナリズム、第一次大戦、そしてベルサイユ条約によって助長されたのですが、それはわれわれの歴史の枠から外れた、非連続的な一章でした。それは独裁であり、盲目的な反ユダヤ主義であって、揚げ句の果てがアウシュビッツの名に象徴されるホロコーストでした。
pp25 国家体制の維持された日本
十二年にわたるナチズムの支配は、ドイツの歴史における異常な一時期であり、断絶であったのに、日本の場合はむしろある程度の歴史的な連続性がはっきり確認できるのであります。
確かに日本は戦後、軍事行動には完全に背を向け、市場経済と民主主義を基礎とする経済活動で、歴史に新しい時代を開きました。しかし、宗教的な基盤、天皇制、そして国家体制はほとんど維持されつづけたのでした。
pp30-32 歴史の真実に目を閉ざすな
アメリカでは今年(1995年)『敵のための倫理―政治における赦し』というタイトルの本が出版されました。
An Ethic for Enemies - Donald W. Shriver - Oxford University Press
(略)
戦争での罪や不正を公平に判断するには、歴史の真実に目を閉ざしてはなりません。この真実は不正に打ち勝ち、新たに相互の信頼を打ち立てるという目的に役立つのです。これが可能なのは、すべての側が独善を排している場合であります。
(略)
人間同士の個人的な付き合いの上での経験が、国と国の関係にも当てはまります。ときには謝罪が必要ですが、嘘偽りのない謝罪でなければ効果がありません。心からの謝罪でなければ、むしろ止めておくべきでしょう。本気で表明するのでなければ、しない方がましです。
pp32 非核こそ未来への道
両国(日独)とも、できるだけ開かれた世界市場における、強い通貨をもった輸出国ですが、日本の立場の方がはっきりと有力です。が、たとえそうであっても、両国の国民経済と成長する世界経済の発展とのかかわりかたを比較することは可能です。質とコストの両面での競争です。私企業による投資は国外に向かう傾向にあり、そのことで国内の労働市場の状況は困難の度を加えております。充分な職業訓練をうけた若い人びとが、その教育にふさわしい仕事を見つけ難くなっていることもあります。
pp36 「核実験は次世代に負担」―ワイツゼッカー氏との質疑応答
Q.
戦争を知らない世代の戦争責任は。また戦時中の女性の役割(略)について。
A.
過去の不正は行った当事者が責任を負うべきですが、過去の不正の結果は避けて通れません。たとえばポーランドやチェコ、オランダの現在の政策が第二次大戦の苦い記憶に基づいて行われているのは事実。子供たちは過去に何が行われたかを詳しく知り、行為の結果に現在責任を負わなければなりません
戦時中の女性は、男性より重い宿命を背負わされたともいえます。もしかしたら、洗浄に出兵する方が、家に残って母親や妻として我慢するよりも楽だったかも。(後略)
pp37 「ドイツの良心」の誠実さと率直さ…―ワイツゼッカー講演を聞いて
権力者は、その権力を否定することで誠実さや率直さを共有できる、ということがよく分かった。
また氏は、政治家は言葉に敏感であることが大事であり、ステーツマン(政治家)として責任をしっかり自覚すべきだとも言われた。言葉に責任を持たないと責任があいまいになる。日本の政治のことを考えると痛い話だった。
映画監督 山田洋次さん
とくに「過去を否定するものは、その過去を繰り返す。心のこもった謝罪でなければ、謝罪しない方がよい」という言葉には、日本の国会決議の在り方などが強く問われていた思いがする。
指導者にふさわしい歴史認識であり、世界の多くの政治指導者に聞いてほしい発言だったと思う。
pp47 ワイツゼッカー前ドイツ大統領のこと/永井清彦(講演前の紹介)
ワイツゼッカーさんは「言葉の政治家」です。
こう断言して、急いでお断りいたしますが、ここでいう「言葉」も「政治家」も、いまの日本語が持つニュアンスとは少々異なります。ことに政治家と言葉は、いまの日本でははなはだ不幸な関係にあると思います。
どうしてそう断言するか、をお話しします。
多くの方が十年前(1985年)の五月八日、ドイツの敗戦四十周年にあたっての演説をお読みになるか、少なくともそのなかの「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目となる」という警句を何度か目にしたり、耳にされたことがおありでしょう。
(略)
ドイツの人たちは一九四五年に終わる十二年間の過去、ことに後半の六年の暗い歴史のせいで、「われわれは永遠の罪人なのか」という、呻きにも似た声を挙げています。
そのドイツ人たちに、にもかかわらず誠実に歴史を直視し、「心に刻む」ことが心からの和解への道なのだ、と説いた演説でした。
そのためには「過去に目を閉ざしてはならない」と強調されているのです。将来への発言です。
(略)
意外に見落とされていることですが、その関連で、この演説の最後が若い人たちへの「お願い」で結ばれていることは大切でしょう。
「互いに敵対するのではなく、互いに手をとりあって生きていくことを学んでほしい」「われわれ政治家にもこのことを肝に銘じさせ」「範を示してほしい」というのです。
(略)
次の選挙を考えるのは政治屋(ポリティシャン)であり、次の世代を考えるのは政治家(ステイツマン)だといった十九世紀アメリカの神学者がいました。
※James Freeman Clarke
ワイツゼッカーさんの目は、次の世代、未来に向けられています。
(略)
ただ、いまの日本語では「政治家」が「次の世代を考え」る人たちを意味しているかどうか、疑問です。「ステイツマン」というしかありますまい。
ちょうど選挙のころ読んでいた。どうしてもふんわりした話になってしまうが、言葉を大切にするしない・慎重に扱うかというのが、人間を判断する基準になっている。大ざっぱに言えば、日本語は英語などに比べて漢字を利用することによって短い・少ない語数で多くの意味を表せる。わたしもそれが便利だし、日本でTwitterが人気(人気…)である理由にもなっているのではないかと思うが、それでいいのかと思うこともある。意味がなんとなく共有されて、それこそ空気を読むように文章を読む。ニュースでは議論を尽くしたという言葉をたくさん聞くが、きみたちの政治では議論も言葉も尽くされていないだろうと反発する気持ちも大きい。紋切り型の言い回し「不快な思いをさせてしまい」だとか、とりあえずこれを言っておけば丸く収まる的な語彙だけが増えて、実を伴っていないようにも感じる。20代半ばにしてそんなことをわざわざ言うのも青臭いのかもしれない。読んだ本の中で印象に残った部分を拾ってみると、自分が頻繁に感じていることがはっきり見えたようだった。
筑摩書房・実相寺昭雄・1988-ウルトラマンのできるまで
ウルトラマンのことが知りたかったので読みました。途中からすごいSFの話(pp148/ゴダール「アルファヴィル」から影響を受けた作品について)をするので、こんな人たちが携わって作っていたのか~と思った。当時って大人も番組を観てたんでしょうか。大人が観ても楽しい番組作りっていうのは今でも気が遣われているとは思うのですが(デザインあ・にほんごであそぼとか…)、今は日曜19時からなんてやってないしうらやましいです。
おもしろかったところを抜粋
pp81, 82
怪獣のデザインについて著者が「みるだにおぞましいもの。(略)生理的ないやらしさを表現してほしい」とオーダーしたのに対し、怪獣デザインの成田亨さんが語った内容
「(略)ぼくのデザインの基本には、異形なるがゆえに、人間社会から拒否されてしまうモンスターの哀しみとおかしさが漂ってほしい、……そうねがっていたんですよ」
「円谷英二さんの教育というか、理念というか、考え方は徹底していましたね。第一には、お化けはつくらない、ということです。そして第二に、人間の体、皮膚を破壊したものはつくらない、ということでした。その理念にぼくも共鳴したし、その円谷さんの強い意志があったからこそ、怪獣たちも、人びとに愛される存在になったんじゃないでしょうか。……怪獣というのは不格好で、不器用で、大きな図体をもてあまして、結局最後には人間の社会から葬り去られてしまう。時代遅れで、いつも突然に、異次元の過去が現在に登場するイメエジなんです。その意味では、SF的未来から来る宇宙人とはだいぶちがう。怪獣には、原始怪獣が絶滅したように、時代についていけないもの、時代からとりのこされたもののやさしさや、見果てぬ夢があるんじゃないでしょうか。だから、ぼくは、生理的におぞましく、いやらしいかたちをつくることはできませんでした」
pp104
ジャミラについて
「国威を発揚するすぎた宇宙開発競争の中で、科学のために人間は犠牲にされ、ある国のジャミラという名の宇宙飛行士が宇宙に打ち捨てられていた。ジャミラの宇宙船は漂流するうち、ある星にたどりつき、そこでの異常な環境のうちに、自ら怪獣へと変身してしまう。しかし、故郷を忘れることはない。異形に身をかえてしまっても、地球へ帰ることを念じ、さらには宇宙の漂流者として自分を見捨てたものたちへ復讐をちかっていたのだ。」
新潮社・小松左京・2018-やぶれかぶれ青春記・大阪万博奮闘記
第二次大戦中の生活についての一部と、大阪万博に携わることになった経緯を描いた二部、関係のあった方からのコメントのような部分で構成。読みやすい。そもそも大阪万博に前向きに関わろうとしていたのではなく、そういうものの開催予定があるらしい→そもそも「国際博」というものの性質について知りたい・検討してみたいという研究会が実際の開催にあたって巻き込まれてしまったという内容。小松左京がお役所仕事にイライラしている。
やぶれかぶれ青春記
pp70-71
私がSFとして(傍点)書いた事柄が昭和二十年四月、米軍の沖縄上陸が開始されたとき、沖縄の中学生、女学生の上には、実際に起こったのである。
(略)
「わずか千キロの距離、数月の時間が、ぼくたちと君たちとの運命をわけ、君たちはここで死に、ぼくたちは、"戦後"の二十数年をこうして生きのびた。同じ日本の中学生だったわれわれの運命をこうもへだててしまった"運命"とは、いったい何だろう?これが"歴史の壁"というものだろうか?
(略)
「健児の塔」「ひめゆりの塔」の空の上には、今日もB52が、ごうごうと音をたててベトナムへとびさって行く。大きさ、スピード、爆弾搭載量、そして形式番号のすべてが、二十数年前のB29のほとんど倍になっている(後略)
(略)
今なお眼前にある、二十数年前と同じような悲惨さについて考えるのも大切だが、そういったものを絶え間なく再生産する、われわれの「文明」や「歴史」の構造を冷静に、客観的に研究してみることも、それにおとらず大切だ。
pp172
人間の中には、一生のうちの何度か、「無垢の感動」を体験する時があって、その感動は、文明や文化のシニシズムが、いくら薄汚い冷笑でもって否定し、おとしめようとしても、本人にとっては絶対に消し去ることのできないものであり、その時人間は、三十四億の他人が、いかに冷笑しようとも、この感動は「俺のもの」だという、絶対的な自己存在の中に立っているのである。
pp260-261
オリンピックを契機に、日本の社会の中にあらわれつつあった瞠目すべき変化は、すでに何年も前に、どこかで準備されていたものにちがいないのだ。――とすると、「次の十年間」の社会・国土の未来も、すでに誰かの手によって検討され、決定されつつあるのだろうが、われわれの社会の「未来」は、いったい誰が、どんな具合にきめているのだろう?十年先に、その変貌の結果をひきうけさせられるのは、われわれだが、その未来が、われわれにとって「いいもの」だということを、いったい誰がきめてくれるのだろう?
pp307
万博のサブテーマ検討にあたって、様々な分野の専門家に依頼をする段になり、万国博協会の対応方針についての意見
「この人たちは、それぞれの方面でプロだぜ。これだけの人たちに、本気で知恵を出してもらおうと思ったら、出してもらえるような体制をつくらなきゃだめだ。――安くお知恵拝借しようとする気なら、こちらもそのつもりで、そちらの程度に応じた、お座なりの知恵しか出さないことになるぞ」
pp360
――現代は、科学、技術、産業、経済、文化、生活、あらゆる分野のありかたがそれぞれ世界的な規模で再検討、再編成を要求されている時代である。――このことについては、誰も異存あるまい、それぞれの分野において新しい地平が求められ、追求は進んでいるが、すすめばすすむほど、一つの分野だけでは、問題が解決しきれない状態が出現しつつある。
pp365
「明日のよりよい世界」とは(略)よりゆたかで、より苦痛が緩和され、それぞれ特性に応じて、より充実した生をおくることのできるような世界である。
pp367
世界の多様性と、多様性の総合された全体像の中におちて、自分の占める位置と特性さらに全体的具体的な未来像から、事故の未来像を描き出すような機会はあまりないのではないだろうか?ーー具体的な世界は、企業の日常活動の中での、社会との接触点、一種のエネルギー交換点を通じてごく限定された姿でしか、はいってこないのではないだろうか?ーーその活動が、現在の具体的な世界をささえ、複雑で有機的な社会の一部をささえ、その活動が、社会全体の生産と富と利益の拡大を通じて、結局は、企業自体にとってと同時に、社会全体にとって「よりよく、よりゆたかな明日」を編み上げて行くことをねらっているのだったらーーその将来への見通しと、問題点とより一層、新しい分野への飛躍の可能性を、もっとも「総合的かつ具体的に展望できる、稀な機会が、この博覧会の中に、そしてそれを(つくり上げて行く)作業の中に、ふくまれているであろう。ーー万国博は、もうはじまっているのだ。万国博を、四年後の六ヵ月間だけのお祭りにおわらせるか、その期間をさらにこえて、日本を、さらには世界をよりよき明日へとおしすすめるような志向と組織をこの時代の中にうみ出して行くのうなものになし得るかーーそれは、準備制作期間をふくめた万国博の(もっていき方)にかかっているのである。
メモ
pp251
放送朝日・1964年3月号オリンピック特集「政治的シンボルとしてのオリンピック」
pp271
戦後最初の万国博・1958年のブリュッセル博
テーマ「科学文明とヒューマニズム――より人間的生活へのバランスシート」
テーマ作りにあたってサン・テグジュペリの作品からアイデアが得られた
pp322
モントリオール博について
ヒンターランド(カナダ=合衆国のヒンターランドといった性格をこえて…)
同文書院・うしおそうじ・1995-昭和漫画雑記帖
昭和の風俗についてカテゴリ別に絵を交えて書いている。バーッて興味があるところだけ読む形になってしまったのですが、著者も円谷関係者で全くそのつもりなく書棚から選んだのでびっくりしました。抜粋とかは特になし。
新潮社・つげ義春ほか・2014-つげ義春-夢と旅の世界
今読んでるけど感想…感想?人生経験だし…。
本以外
宝塚歌劇団雪組・CITY HUNTER/Fire Fever
連れて行ってもらって観たの以来、5年ぶりくらいに雪組の公演を観ました。ショーの衣装が原色バリバリ・布が固そう…と思ってシュン…としていた。薄めの生地・レース・パステルカラーが好きなので仕方ない。好きだ~と思った槇村兄が開幕後マジで秒で死んで、しかも下手で死ぬので上手にいたわたしは本当にどうしようもない感じになった。でも兄、ずっとガイドしてくれていたしエンディングでもかっこよかったのでいいです。次はたぶん月組だと思う。ショーが絶対好きなやつなので…。
劇場版・少女歌劇レヴュースタァライト(2回目)
本読むとき電車だと何か流さないと集中できなくて、ちょうどよかったのがwi(l)d-screen baroqueとペン:力:刀で、聴いてるうちに2回目観たいと言いつつ観に行けてないな~…という後悔が生まれてきたので池袋での最終上映に行きました。
この曲聴く→観たくなるの流れ、完全に監督たちの思惑通りなのがパンフ再読で分かり楽しくなった。宝塚とはしご、ぜいたくだけど色々してたらギリギリだった。常にギリギリの人間だから冒頭のキリンに共感する。曲が頭に入ってから観るのはまた楽しい!
まひる・純那ちゃんとななが大好きだから、まひるちゃんの口上には顔をぐしゃぐしゃにし、じゅんななはやっぱりあたしの好きな2人でした。ちなみに萌えの回路は人それぞれなので、真矢クロにマジで萌えないままアニメ全作観きった…。ざっくり最悪な言い方をすると、大場ななのメンヘラ性というか、処女厨感というかが本当に好きで(最低の投影・自己愛)、大場ななの感情は完全にわかるし…。自分が好きな少し抜けたあの子は自分には足りないことばかりだと奮闘していて、自分にはそれがなくて、それが、それが、それが愛おしい、だよね…ななちゃん…。
スタァライト、特に劇場版は共産圏を連想させるデザインも電車もデコトラも歌も自分の趣味全部盛り!という感じで非常にありがたかった。登場する車両は中央線・京浜東北線などで走っているもので、色・路線図的には東京メトロ丸ノ内線なんでしょうか。たしかに東京宝塚劇場へは丸ノ内線の銀座駅のが近い。言及している記事があったので貼ります。この間名古屋行ったときおそらく昔東海道線で関東を走っていたのと同型の車両に乗って猛烈に懐かしくなりました。車両の入替って始まると結構急速に古い方を見かけなくなるので…。
劇場版スタァライトを観てきました(ネタバレ注意) - 限界放大生の雑記
上に貼った記事にも書いてある通り、デコトラの荷台と頭(運転席のある部分)が別々に動きます。細かくてめっちゃ萌えじゃないですか?ちなみに荷台のないトラックは東京の湾岸エリアに行くと見られます。結構不安定な見た目で怖い。詳しくないのに、昔からにわかメカ萌えみたいなところがあるので、終始楽しかった。真矢クロレヴューの絵画はマグリットだ!となったりしたんですが詳しく読み取れず無念。
【作品解説】ルネ・マグリット「大家族」 - Artpedia アートペディア/ 近現代美術の百科事典・データベース
あとパンフの99期生立ち絵の背景写真はたぶん大体武蔵野市で、クロちゃんの背景は武蔵境~武蔵小金井辺りの中央線ホーム、きれいに高架化されてるあたりですよね。う~わかる…となりよかった…。武蔵野市なんだよな…。会社から遠いし家賃も高いけど武蔵野市、住みた~い!
A.B.C-Z・But FanKey Tour
えびはいつも良いので特筆することはない…。戸塚さんが楽しい!踊れ!みたいな動きをしているのが見られてよかった。元気になる。戸塚さんの歌マジで好きで、なんか年々自分が戸塚向きになっていく感じがする。ジョーダンバットもう1回読もうかな。
ジャニーズでマッシュアップが流行ってる。自分がSTAR SEEKER好きなの思い出して聴いたら構成が変すぎてやっぱめっちゃ好きだなと思った。えびの曲って忘れてたけど自分これ好きなんだわ!みたいなのがかなり多いので、コンサート入って、その後毎回確認してる気がする。Nakedも好きだよ~となったりしていた。戸塚ラップが本当に好き。ちょうどいい抜け感…。最近はバンド編成の曲ほんとに苦手なんだけど、苦手になる前に耳になじんでしまったセクゾ・えび・KAT-TUNは平気で聴けるのがおもしろい。夏始まりのツアーだったのでトロピカルとかあって、円柱花火(特効・回る)もあるし夏聴きたいセトリだった。
はっしー8月とかバリバリスズカツのやつに出てたので、療養してたの知らなくて後からブログ読んでそっか…となった。すっごい痩せてるの見てたのでなんでだろと思ってたんだけど、調子悪くないといいなと思います。10周年だし…。ていうかはっしーがスズカツに気に入られてる?の外野からしたら結構意外性がありおもしろい。スズカツ舞台行きたいな…になりました。織山なおはたぶん結構はまってて、かなりよかったので…。
V6・LIVE TOUR groove
前日にもしかしたら声かけるかもと言われて、そのまま当日行くことが決まり入りました。話に聞いていたすごい衣装が見たいがゆえ、踊りたいのに双眼鏡持って棒立ち(不器用)という事象がめちゃくちゃ発生。行くぜさいたま~みたいな煽り聞いて「ジャニーズだ…(そうだね…)」と言ってしまった。あまりにも小さいときからテレビでしか見たことないひとたちなので夢かと思った。実際夢っぽかったし…。HONEY BEATでマイクスタンド投げる井ノ原さん・ファンサうちわをセクゾコン外周のJr.か?みたいな速度で捌く井ノ原さん・絶命。マジで何もせず何もなく入ったので見るだけだったけど十分だし、圧倒されていた。すごい踊るじゃん。「分からないだらけ」が好きでした。夢っぽくて…。
もう踊らなくなるのか?!とは公演入る入らない以前に思っており、それはファンにとってはつらいよな…という感じだったのに自分もまた対象者になってるし…。旧譜手に入れるには中古ショップ片っ端から当たるしかないよって言われたけど、現代人の最悪なところを発揮して通販で買いました。今、今見たいんだ…。
ベスト2枚聴ける状態だったのに、借りた当時からは音楽の好みも変わってるし通して聴いてないな~と思って改めて聴いたらDrivin'(Very BestII/通常収録)が好きだった。好きなの絶対編曲のおかげじゃん…と思って調べたら、COLDFEETというユニットらしくwikiのジャンルにドラムン・ブレイクビーツ・ハウスってあってそっか!と思いました。好きなジャンル。マイケルジャクソンの好きなアルバムOff the Wall
から数曲選ばれててそれは好きじゃんのやつを見つけた。
普段全然洋楽聴かないが、こういい感じに好きなものがつながるとブログにも書きたくなる。
ドラムンの話したから最後に追ってたKぽのグループ好きになったきっかけの曲、貼ります。これいきなり豊洲PITで聴かされたら好きになるだろ。
最近ジャニーズでも身長高いシュッとした明らかにリア恋枠みたいなひとしか好きにならなくなっていて、厳しい。現実で恋愛ができない(自分の性質的にしない方がいい・虚構以外にマジで興味を持てない…)ので昔より現実とアイドルのカバーしている領域をかなりかぶらせて好きなひとを探しているっぽい。ていうかテレビ含めても数回しか見てないのに井ノ原さんの踊りが本当に好きで…。好きな踊り度の高さは身長の高さに比例するんだけど、それに加えて踊ってるときの手のひらの形も関係している説が濃厚になってきた。自分が想定している手で踊ってるひとが好きがち。漫画の巻頭カラーとかでその手が描きたかったんだねみたいな手、あるじゃないですか。踊ってるとき、それこそ手の振りはないときに、ああいう手をしてくれるひとが好き。
開演前に足元を見たら革靴がまあまあ汚くて結構落ち込んで、次の日靴を磨いた。靴は定期的に磨けよという感じだが、ジャニーズしかあたしに靴磨きをさせない。ジャニオタ一生やめられないのか?!助けて。
大場ななのこと書いてるとき思い浮かべてた女の子、一切連絡取らなくなっちゃって、今パブサしたら苗字変わってて結婚したっぽい。おめでとうございます。