仮)Being at Home with Claude-クロードと一緒に

 

知らない物語でも先に続くセリフのネガポジや内容が瞬時に想像できることがあって、まあ他のひとにもあるだろうけど、クロードはそれが、「腐っちゃう」で発動した。きれいで幸福だった自分の記憶と相手の存在が不可分だから、その性質が失われることに耐えられない。全ての殺人に動機が必要なのかとわたしは最近ずっと疑問に思っていて、わたしは一貫性があることが好きだけれど、本来人間はそんなルールに基づいて律されたいきものではないだろうと思う。人間の脳があればこそ。だからイヴ(と聞き取ったけど…)の長台詞が好きだった。山に行くこと、彼の部屋に行くこと、広場で客を引くこと…この3つで合ってるっけ、これが1つの器に投げ入れられているのが人間だと思った。

ええ~体調が微妙だったのもありもう1回観ないと何も書けないよ~~!とここまで書いてなってしまった。湿度日光時間を見誤って横浜を爆走、自律神経の崩壊…。

松田さんについて、なぜか松田凌と鈴木勝吾をたくさんみる運命(ほし)にある年なので、クロードで観られてよかったなあと思った。少なくとも東映ではみられない芝居だし内容だったから…東映はもうムビステやめないか?(直球)この芝居ができるひとになんであんな…もったいないというか……仕事を選ばず求められたものを演じるのが俳優の仕事なんでしょうが。分かるけど、分かるけどわたしが松田さんのこと追ってたらクロード以外観たくなくなっちゃうだろと思った。発表されてTLがざわついてさすがに観たいかもな~~と思っていたので、いざー先生のことが気になるという友人と相談して観られてよかった。ちなみにいざーさん、でかすぎる。

わたしはネルケ東映がたぶん苦手なんだけど幸福なことにネルケとは関係を築く前に縁がなくなった。でも東映はわたしの眺めている俳優全ての祖なので一生俳優の人生に付きまとってくる。恩着せがましい毒親みたいである。みんな東映に恩義を感じているからわたしが悪く言うのもな…と思うんだけどやっぱり卑劣だろ!みたいな気持ちはあるので書かずにいられない。やっぱり仁義なきうんたらは映画少年たちだったのかもしれない。ちなみに好きなのはゴーチブラザーズとディスグーニー、これはまじで幼少期に何を読んできたかみたいなところですよね。しっかりと四季を観劇したことはないんだけど、好きだった舞台はオペラ座の怪人と夢から醒めた夢だった。昔から人間の生き死にが好きすぎる。

前日にアルカナシャドウ(西田)、バリバリ和物を観ていたので不安だったけど平気だった。アルカナのデカデカ可動セットを見た後だったからクロードの舞台も周囲に置かれた小物もちんまりしていて、その世界の大きさを感じたかもしれない。これは今、後付けで考えたことです。

でもそう、アルカナは道満によって遡及可能になった過去含めた壮大な世界の話で、クロードは彼の家が世界みたいな話のはずだから。イヴはクロードに見せたくない、その家の外の風景があって、そこにさらされることで傷ついてほしくなかったんだと私は思った。それはやさしさだけど傲慢だよなとも思う。でも世界に絶望したらそれしか選べないとは思う。(まじで見当違いのことを書いてる気がする!!!)立場と同性愛への蔑視とそのほか全部、今後クロードに降りかかるであろう苦しみがイヴには予見できてしまって、それは彼がこれまで生きてきた経験上間違いないものなんだろうと思う。だからわたしもまあ…そうなるか~……と納得した。なんだか後半ずっとイヴの言うことはわかるなあと思っていた気がする。わかるなんてことはないのだが、近い想像はできる。すごく小さな差ではあったけど自分が身分の差を感じることは現代日本で何度もあって、それはわたしが親しくなる人間に対してもだった。そういうのを思い出していた。だからなんか泣きそう…泣けないなとなっていた。

わたしは窮鼠はチーズの夢を見るの今ヶ瀬渉がほんとに好きなのですが、イヴは今ヶ瀬のことを思い出す人物だった…と思う。具体的に言えば、1日中ゴミ箱漁ってた日と、探してた人間の死体と対面したときはさすがにへこむみたいなセリフがあるんだけど、それを思い出した。これには、そんな日にあなたに会えたらって何度も考えたみたいなセリフが続く。わたしは窮鼠を内面化しすぎているし好きすぎだし、こびりつきすぎ…。気づいたらわたしはもう今ヶ瀬の年齢になっており驚く。高校生のときならクロードを観て泣いたかも。

かなり雑で横道に逸れた話になってしまった。来年もあれば観たいなあと思います。水分補給と暑さ対策には気を付けましょう…。わたしは日傘を去年小田急の車内に忘れたので買い直します。