舞台 ”Arcana Shadow" #舞台アルカナ 雑感

自然にネタバレしているので嫌な人は読まないでください♪あとやはり舞台の感想は観る人間によって全然違うものになるからちげーだろ!となることもあるでしょう。しょうがない。最初書いたものと印象が変わったりしたのはそれぞれ【↓】以降に書いてある。

 

初日帰れなくなったっておたく見かけて、色々やりとりしてたひとだったので長いですよ!って言ってあげられたらよかったかな~T_Tと思ってしまった。これからはやはりインターネット良心の時代だから今後違う界隈と取引するときは伝えようかな……。今回ブロマなしアクスタなしという感じ(権利関係)だったからパンフの後ろの方に素材があっておもろかった。全身のいい感じの写真が配置されたページがある…。(笑)

あらすじ

平安時代活躍した安倍晴明芦屋道満の対立構造を軸に、その2名を使役する藤原氏の内紛と過去の因縁(これが公式あらすじに出てくる空白の期間の話)を描く群像劇…という感じ。ガネオペを観たときもこれは真ん中に据えられてる人間がお話のメインというか…メインだけど…なんつ~か……みたいなことを思ったんだけど、今回もそれ。HPのキャスト表で最後に勝吾さんが並んでいることでなんとなく察した。一敬くんのおたく的にはさ…道満があってこその展開ではあるけど、途中からほぼ道長フォーカスになるのはどうですか?物語が楽しめてしまう系の人間なら問題ないと思うけど動いてる彼を見に来たって人はつらいかもな~って思ってしまう。難しいな…。(笑)

主演の一敬くんの評判がはいゆーみに来た人にはそんなによくなかったけどわたしはまじで何も思わなかったしふつうに好きだったので謎でした。確かに声は他と比べたら弱いのかなと思ったのだがそんなに後方でみてないので、それが理由なのかも分からなかった…まじで……。声好きだったのとふつうに顔がかっこいいので…めろめろになってしまった自覚はあるんだけど(役も好きだったし想定できる全てのバイアスがかかっている)、それが一般的な好みとは違うってことなのかもしれない。何も分からない。

感想・読解いろいろ

まずみんな泣いてるんだけどわたしはなぜか全然泣けなくて恐怖している。山南篇であんなに泣いてたのになぜ。たしかに響くセリフも好きな関係もあるのに冷静に演者をみているかも。あと普通にお話がむずい!!!(笑)むずいというか複雑で心情を追うところまで手が回らないのですよね。2回観てやっと自分の中でこういう話なのか?という形ができたから…また変わるのかも。

けっきょくいろいろありわたしが3回目観られたのが晴明が洋二郎さんにキャス変された後だったのですが、話がむずいと思ってたのはわたしが聞き取れてないセリフが多すぎたからだと判明。サンシャインでは絶対にセンブロに入ります。右耳が微妙におかしいから上手で爆音聞いてこれはまずいかも…と思った。

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道長がいちばん好き(好きな演者がやっているのを抜いても)なんだけど(※当初)、道長は泣いて同情とかされたくないと思うし、彼の悲哀はたしかに描かれるけど実際に劇中で主に彼の推進力になっているのはその先にある希望というか、やりたいことだからかな~と思う。わたしは勝吾さんの生命力が強いところが好きなので、道長がほんとに何度地を這っても立ち上がるとこも、いくら足蹴にされても起き上がるとこも好きだった。

道長は道満と似ていて(持論)それがよく表れてたのが伊周が権力を持ったらそこに闇が生まれるって話すところだと思っていた。その闇に飲まれたら伊周は間違いなく死ぬから、だから「わたしの下につけ」なんだと。それをまとめて言えば道満の「悪に成り果てても構わない/この言葉はわたしがもらおう」ってことじゃん!と思った。

わたしは頼信に刺客だった致頼を殺してしまった方がと言われた道長のお前が強くなればいい思想に、そうだね…と思いつつこのひとは人を殺したくないんだろうな~とか思ったけど全然その後斬ってた。1回毎に記憶喪失になっているのかもしれない。

道隆と道長の場面がいちばん!!!ほんとに!!!好きだった。道隆の「お前はわたしたち兄弟の中では要らない男なんだ」に対して「兄弟です」って答えるのがほんとにほんとに諦めが悪くて、好きだった。突き放されてもなおどれだけ絶望しても抜刀しても、たぶん道長は直接手を下すことはできないかもとか思っていた。弱さ。道長さまは強すぎてめちゃくちゃ好きになれるかというとそんなこともない…みたいなことを言っていたのですが、弱さもあるじゃん?!…という気づきが今あった。

今回道長が前みたいにならなかったのはたぶん致頼に斬られてその咎を許したからなのかな?と思って観ていた。それが十六夜童子と背中合わせに斬られる場面で2人は鏡の裏と表になれたんだなと理解した。だから相手の痛みと同じものを味わって変わることができた的な。これはほんとに千秋楽に発生した突然の”理解り"だったので、逆に今???と自分でも混乱した。

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わたしは劇中で男女(?)の抱擁があった場合それを何ととるかという問いに、全て恋愛ではないだろ!と答えてしまう。なので「愛の話になりそうだった」「そう見えるのならばそうかもしれない」というやりとりがわざと挟まれているのであれば、であればですよ?!望月(あらまほし)と道長は別にそういうことではないと思う。望月はヤマトとフジの関係の証拠なわけで、それに基づけば恋愛にはなりようがなくない?!とも思うのですが…。でもこれはわたしの願いでもあるため……その自覚はあるので…もはやなんでもいいんですが少なくともわたしはそう思った。

核心というか野暮なのですが自分の整理のために書くと、たぶん望月と紫は紫式部だし木蓮はその転生前の姿で、それはまあ紫が宮中に上がれって言われるのも「巡りあひて~」の歌を詠むのも総合してそうなんだなと思った。世界史選択なので…道長紫式部に縁があったのを今回改めて知った。定子・彰子と当時の指導役と権力争いみたいなのはぼんやり知ってたんだけどアルカナを観て学習した。わたしはこうやって作品きっかけで知らないことを知るのが好き。楽しい。あと紫ってゆかりとも読ますことができるし、縁だな~とかも考えていた。細々雅な小ネタ(?)があるのがいいですね♪

ヤマトとフジのあたりの話、彼らがまだ一緒に過ごしてたころとか道満晴明加茂の陰陽師3人の飯争奪戦とかが見たくて泣いちゃった。頼信が刀を授けてもらう話とかもいいよな~~と思う。これ全部OPでやってるのずる過ぎるし、それが複数観ると楽しいという理由。この日常を子細に描くからこそ、大きな物語の中の関係に切なさが増すやつ好きすぎる。

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晴明は道満のが自分に劣ると思いつつ、師匠の加茂に似てるのは間違いなく道満だって分かっていてそれはどうしようもないし悔しいだろうなと思っていた。

これまじで聞き取れてなかったから推察…と思ってたんだけどめちゃくちゃ教えてくれてたから教えてくれないもんだと思って観ていて記憶が欠落した可能性がある。何事だよ……。

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道満は道満で自分から卑屈になることはないけど自分は亜流で、伊周の言う”主役”ではない"悪役"だという自覚があるからこそ過去に行って杠(これは式神の名だけど元の名前って出たっけ…→かすみ?聞き取れていません…)に救われたんだろうと思う。「もう寝る。話し相手なら式神を呼ぶ。」とドライな道満が式神として彼女から言われた通りに杠を呼び出したっていうことにぐっときませんか?…好きだった。道満と杠のエピソードがあと15分あったら道満にめろめろになってしまった可能性がある。わたしは不器用で口下手で静かに陰湿な人間が大好き。

人物としては最終的に道満が好きだった。クールキャラだけど負けず嫌いだし自己中だし強くて不言実行。道満も重めなんだけど杠も重めでよかったなあと思う。最後晴明に「あたしはあんたが1番嫌いだった。道満のやりたいことを邪魔するから」って言う杠の覚悟と愛が非常に好き。好いた相手って世界なので。

↓これは、杠と道満コンビ厨の、イメソン

冬のミルク (Rearrange)

冬のミルク (Rearrange)

世界に闇をもたらすのが道満の陰陽道なら、闇の中で光を放つ月が昇るのもその中であるべきで、晴明を身内にしている道長と道満とは対立する立場にあるけど実際には近い人間だという構造が好きだった。道長が待ち望む月は最後には昇るけど、雨が降りそうだと道長本人が予見する。それが道満も言っていた「永遠などない」ということで、彼の世にもいずれ翳りがみえるということなのかとこれを書いていて思った。それを知っているのは源平が争う前に倒すべきは藤原だろうと話していることでも明らかなんだけど、やっぱりその諦観は冷静で好きだなと思う。

これ嘘です。いやこう考えたことは嘘ではないんだけど。初日以降最後に雨が降るぞって言う道長の顔が清々しくて別にそう悲観的になっているわけではないんだなと理解した。というか雨が降ることはこの物語ではたぶん戦の火を消すこと、大地に恵みを与えることだったのかなと思ったから。これは初日来てもらった友人に冬の音って何なのか分かんなかった!って言ったら雨の音なんじゃないかなとこたえてもらって、なるほどと思ったのでそのままそういう解釈で観てました。

けっこうみんなちゃんと通じ合って話が進んでいくので気が重い…キリキリする……みたいなことが少なく爽やかに観られたかなと思う。唯一キリキリ苦しいのは前述の道隆と道長の場面だったんだけど、それも道長さまが強すぎて~Fin~となってしまうためそんなに後味が悪くない。

最終的に個人個人のエゴと選択で同じことを繰り返しても行き着く結末は想像と過去と違ったものになるとか、名は体を表すというように名付けることは相手の在り方さえも変化させる祈りだなとか観ながら考えていた。道長が望月に「その名の通り明け方に消えるというのであれば紫という名前を与える」みたいなことを言うのもそう。というかガネオペでもこういう感想を持っていたな?と思った。サビなのかもしれない。

これに関連して、ガネオペの裏テーマ(?)は「名前を与える」かなと、少し思ったので書いておく。藤吉郎の羽柴秀吉・寧々への改称の話、武田勝頼足利義昭などなどに対して発せられる「誰?」とか「知らねえなあ」の言葉ってテーマとして一貫してませんか?メタネタだな~と笑って通り過ぎそうだけど…。謙信と勝頼の関係が分かりやすいかも。死んだ父親ではなくお前を待っていたという言葉、他の誰かの代わりではない今ここにいる自分を、相手が向き合う対象として名付けて・名前を呼ぶこと。こんなでっかい話ではないのかもしれないんですが、わたしはそういうことかな~おもしろいな~と思って観た。英語で姓はfamily nameで、名はgiven nameっていうじゃないですか、あれです。他者から自分に与えられる名前。

GARNET OPERA 2022 - 名前を入力してください

だしそれってわたしがこうして、だらだらと好きだったところを書き残したりするのと同じだなと思う。自分の気持ちとか考えに自分の頭で考えた言葉で形というか枠を与えること。夢枕獏陰陽師を1冊だけ読んだんだけど、そこに「呪(しゅ)」って言葉が出てきていてそれの話になるんだろうな~と漠然と、もちろん上記のガネオペのことも思い出したから、思っていた。

個人的には2月からこれから勝吾さんをみてみようかなと思って過ごして、その先でまた西田作品に出ているのをみてみたいな~と思っていた矢先の発表だったからすごくうれしかったし、それでみられたのがこの作品でよかったなと思った。ラッキーすぎる。そして下半期ほんとの1作品め(初日:7/1)だったのもすごくうれしかった!ありがとうございました。

アンサンブルのみなさんも…兼役も殺陣もセリフもたくさんあって!!!おつかれさまでした。最後カテコで勝吾さんがアンサンブルに話振ってたのに謎の立場でうれしくなっていた。他にもまだまだあるんだけどひとまずこれで!波乱の幕開けから千秋楽まで諦めの悪いカンパニー…お疲れさまでした!これからアンケート書きます!