舞台オーランド(1幕のみ)について

オーランドの名前を冠して上演しない方がいい気がしますが、これでOKを出したのは誰なのか、演出家にOKを出すしかなかったのか知りたいです。

「男から女になる」というと現代では「トランスジェンダー」と結びつくのでしょうが、原作にはもちろん時代背景もありそんな単語は出てきません。現代の人間に分かりやすく作るために入れた「取材」という場面*1なのであればもう少し丁寧に取り扱うべきだと思いました。少なくとも何も監修は入っておらず、脚本家ないし、原案の人間が書いたまま演じられているのでしょう。そもそも話題の登場のさせ方があまりにも下衆。わたしには蔑視・差別をはらんだ、それに対して観客にも同意を求めるような「好奇の目」に感じられました。

性別適合手術」とわざわざ「トランスジェンダー」を並べて、まるで必ずしもイコールのように登場させることに、トランス差別を助長させるような危険性を感じさせましたし、枚挙に暇がないというのはこういうときに使うんだなと今この文章を打ちながら思っています。

トランスジェンダーの性別変更に関して必要とされる手術要件は一部違憲となっており、事実誤認を招く表現だと思えます。以下参照。

【そもそも解説】性別変更のルールとは? 手術要件が高いハードルに:朝日新聞デジタル

トランスジェンダー性別変更、生殖不能の手術要件は「違憲」 最高裁:朝日新聞デジタル

2024/7/10追記:言ってる間に個別判断ではありますが、手術要件を満たさずとも戸籍上の性別変更を認めるという高裁での判決が出ました。これによって、舞台オーランドにあるセリフについては、さらにトランスジェンダーへの誤った理解を広めてしまう懸念があります。

男性から女性への戸籍上の性別変更 手術なしで認める決定 高裁 | NHK | LGBTQ

観客の層が「テレビに出ている人間が観たい」という人が多いようなのであまりこういったことに関して触れておらず、自身の感じ方に自信を持てていませんがとりあえず書き残しておきます。

2幕がどうであろうと、どれだけ演者の芝居がよかろうと、ここからこの作品を興味深く、イラつかずに観劇することは非常に難しいと感じたので幕間で退席しました。自身や興行主のネームバリューに胡坐をかいて客を、現実の問題を適当にあしらう作品作りをするのはやめるべきかと思います。

*

所感

わたしは原作を読まないと何も分からないだろう・原作(原典)を読んでから舞台を観ることを自分に課しているので原作小説をギリギリ5.5/6章程度読んで観劇しました。

読んでいて感じたのは明らかに舞台作品向きの小説ではないこと。作中でウルフも、何も起こらないと書くことがないというのが伝記を書く人間の悩みといったようなことを書いていますが、かなり淡々と事象が続き、オーランドが何を見聞きしてどう感じたかという描写が多くあります。そのため舞台でやるにはその大半、それがオーランドという作品の魅力だとわたしは感じていたのですが、を削らなくてはならず、事実1幕で小説全6章のうち4章くらいまでをこなしていました。舞台版のうち2幕丸々+1幕の後半を主演の宮沢りえさんが「女」のオーランドとして演じることになるのは、小説での男/女の配分とはかなり差があります。また、「男」のオーランドを演じているときもエリザベス女王から性交を迫られるような、ただ演者のことのみを考えれば女が男に迫られてただエロティックな場面を描きたいみたいな作り手の欲望が垣間見えてわたしは少し気持ち悪いな~と思っていました。そしてこれは男のオーランド、女のオーランドどちらに対しても通じて行われていたので非常に不愉快だった。

また、「女」を演じる男性俳優たちのことを舞台上で「演じている状態」なのであればわれわれは「女」としてみるべきかと思いますが、なぜかそれを許されないようなちょっとわざとらしい演出がメタ的であまり…好みではなかった。まるで「男が女を演じているさま」は滑稽でしょう?と提示されているようにわたしには受け取れ、他の作品でオールメールだったりするものを観たことがあったりする身としては「演劇」の可能性なり、幅を損ねている気がしました。非常に引っかかったところです。

とまあ、枚挙に暇がないのですが演者はみなさんすてきでした!衣装なども。演奏も。こうやって肩肘張った体裁で感想を書くことは少ないのですが、内容が内容、下手なりに評するという目的があるためこんなふうになりました。以上。


*1:7/10注:ここではオーランド=トランスジェンダーではなく「(オーランドは)トランスジェンダーで、性別適合手術を受けたという噂がある」というセリフが入っていたのですが、まあ、原作の内容への事実誤認に加えて現代のトランスジェンダーについても誤った認識を招くものかと思ったので書いています