受け継がれるもの-『ミュージカル薄桜鬼・真改-山南敬助篇』雑感 #薄ミュ

全てがネタバレなので苦手なら「はじめに」だけ読んで、後は観てから読んでください!作中の時系列には沿えませんでした。

 

はじめに

【配信情報】

今回の配信はシアコンだそうです。使いづらいという声を聞きますがディスクになるのは9月なので…手軽に・すぐ観たい方はこっちがよさそう。

販売形態が2種あるようです。スイッチングうまくいってなかったとかも耳にしたのですが、連休に観るならスイッチングしかないのが切ないです。

(生配信:終了しています+)アーカイブが4/25現在購入可能。

※価格違いで定点orスイッチング

販売期間:販売中~4/30・20時

視聴期限:~4/30・23:59

千穐楽がどこまで配信されたのか不明なのですが、カテコ4回含めて3時間30分くらいあったので…買うのが4/30の20時だと余裕がないかもしれない。

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上記のアーカイブ視聴ができなくなってからは以下の通りアーカイブ配信があります。

アーカイブ

※スイッチングのみ

販売期間:5/3〜5/16・23:59

視聴期限:購入から7日間

現地で見ていた感じ、スイッチングの卓がおそらく会場内に置けずにモニタで見ながらホールの外から操作…していたんでは?という感じでした。そんなに責めてくれるな…という気分になった。会場が狭いのも考えものというか、もしかしたら客席に設置予定だったのを開放して客を入れたのかもしれないし……とか考えてしまいました。

ミュージカル『薄桜鬼 真改』山南敬助 篇|シアターコンプレックス

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推薦文(?)

観るのを迷っていたら配信でもいいから…でもできることなら劇場で観てほしいなあと思います。配信でよかったと思っても、配信日は千秋楽だから二度と現地で観ることは叶わないので…(笑)配信だったら苦手だと思った瞬間にぶち切ることができるけど、その先にもしかしたら好きな雰囲気の場面が!セリフが!芝居が!あるかもしれない!とわたしは思う。誰かのその可能性が断たれるのがさみしい。これは愛なのかも。劇場だとどうしてもチケットの金額分、拘束される時間分、何かいいところを探したいと(少なくともわたしは)思うので必死になって、最終的にここはよかった/ここはう~んと思ったみたいに感想を持てるものだと思っている。自分で言えば、最初から観に行かないと決めてしまうものもあるけど、それは自分で納得しているからなのでいいのです。でも迷っているなら初日に、疑わしきは罰せずという感じ。

ていうか初代風間の鈴木勝吾さまが大興奮で感想ツイートしてるの見たら観たくなると思う!(笑)わたしは勝吾さまが来てるっぽいよと友人に聞いて超元気になった。同じく西田作品を愛好する人間としていちばん観てほしかったので。なんか、もう1回観たいと言って演者たちにリプライを送りまくっていてニコニコした。おもしろかったですよね。

矢崎さん(初代土方)も冷静を装ってこれなのでさすがに、ワロタ…しかなかった。

と、140字以内で冷静に綴らせてもらいましたが、どれ位感動したかはぜひ鈴木勝吾君のTwitterを覗いてみてください。僕以上に興奮してます

https://twitter.com/hiroshi_yazaki/status/1646127946330165248?s=20

今の演出が苦手で離れてしまったひとも、薄桜鬼を知って間もないひとも、俳優が好きだけど乙女ゲー原作はなあ…みたいなひとにも、ぜひ観てほしいなと思います。

あと楽曲のアレンジが!!!(笑)すごくロックに振れていて、好きなひとは好きかもしれない。雪風華でさえドンシャン(バスドラとシンバルの音)しており、そして爆音なので気を付けた方がいい。わたしは次入るとき耳栓持ってくつもりです。わたしは1幕観て、ロックミュージカル薄桜鬼・真改-山南敬助篇-輝馬卒業公演だなあと思ってしまった。卒業はしてほしくないけど、はくみゅで彼の卒業公演をやるとしたらこのくらいの勢いで、この楽曲数でやるべきだろうなという感じ。卒業公演の概念。初回からトリプルアンコ+スタオベだったので、大千穐楽どうなっちゃうんだ。卒業、するな……。

ゲネプロの記事でおそらくあまり本人たちのコメントに手が加えられていないのはこれかな?と思うので貼っておきます。写真も良いです。

待望の薄ミュ初主演・輝馬「斬新な薄ミュができた」 ミュージカル『薄桜鬼 真改』山南敬助 篇レポート│エンタステージ

4/12追記

11日にダイジェスト映像が公開されました!これまで真改のダイジェストは雪風華にシーンが色々乗せられていたのですが、今回はオープニングナンバーの山南ソロです。暗くて、いいですね。

youtu.be

演者について

いきなり本筋の山南ルートへの言及から外れますが、印象に残った役は新八!

わたしはふつうに…ライブのときのあいさつ(円盤に収録されてる)を聞いて小池さん……いいやつだ…と思った贔屓がめちゃくちゃあるのですが、新八が本気で怒って本気で心配して(?)総司の痛みを感じていて、あれがすごく好きだなあと思った。これまでの作品をいろいろ映像で観たのですが、わたしの中でいちばん印象に残って好きな永倉新八だった!!!

左之と新八の離隊前の「兵を引いてくれ(左之)」はあるけど「近藤さんには付き合いきれねえぜ」は、ない。ないよね…?(不安)この、出され方というか、新八に与えられる役割として近藤とはっきり反目するのがカットなので…(笑)ああなったのかなと思ったのですが、にしてもよかった。平助を案じて山南さんに本気で食ってかかって(真改斎藤のみ観れてなかったけどそれとも微妙に違っていたことを確認しました!)、原田に必死に止められているあれが自分の中の新八の像ときちんと重なって感動した。初めて観たときの演者を親鳥だと思う…というのはあるんだけど、好きだな~~と思ってみてました!というか新選組のみなさんみんな内にこもりがちというか、表立って感情をみせてくれるのって割と新八だけなのかもしれない。特に今回メインの山南さんはその最たるひとじゃないですか。だから際立っていたのかも。よかったな…。

小池さんは14日のアフトと15日のカテコで「一舞台ひと人生と思って命を懸けて演じていますので…」みたいなことを言っていていいなあと思いました。

公演後に出たご本人のライナーノーツ(?)を読んで、は~~~!!!と感心した。ぜひぜひ本編を観たひとは読んで欲しいと思います。わたしはこれを読んで、自分のお芝居の組み立て方をきちんと言葉で語れるひとが好きなんだろうな~と思いました…。

ミュージカル薄桜鬼 真改 山南敬助篇~大千秋楽を終えました~ | 小池亮介 Official Blog -since 2009-

原田役の川上さんは直近でみたのも兄役で、薄桜鬼でも原田って千鶴を気に掛けるお兄ちゃんみたいな役で、実際にも妹がいるので…ナチュラルボーン兄ポジすぎる。新八と同様に新選組と別れるところがスーーーと流れていってしまうので、別の見せ場があった…はず。今作、勢いがありすぎるのでまじで誰が何してるのか混乱する。江戸にいる千鶴と沖田に近藤さんのことを伝えに来るのが左之だった。左之、なんか全体的に義理人情の厚さが増している。

左之と新八の背中合わせでの殺陣のとき、八百屋舞台のおかげで奥にいる人間と手前にいる人間の立っている高さに差が出て、2人きれいに姿が見えて最高最高最高。そして平助の「いつもそうだ、俺の都合なんて関係なしに~/2人とも俺がいないと~」みたいなセリフからの三馬鹿…良…となる。油小路は誰のルートで通ってもキツー…と思うのだけど、3人が並んで殺陣してるのやはりアツいしみれてうれしいな~と思いました。意外と3人とも性格もバラバラ…(だよね?!)なんだけど、なんだかきれいにまとまってるのがわたしは好きだなあと今…思った。

というか自分は新八が意外と好きだってことが徐々に明らかになってきている。たぶん新八が新選組を離れる理由が、自分にはすごく真っ当に思えるから。なんか、こう、原作もので思いもよらないキャラを好きになれるのって幸せだなと思うんですよね。人間は多面体だから、原作で描かれない部分がコミカライズないし舞台化などで見えて、それに納得がいくというか、それで好きになるってこともあって、キャラがどういう人間なのか解像度が上がるのが好き。もりみゅ経てのモランとかもそうかも。やっぱり人間が好きだから、フィクションの存在を立体に起こしてくれる舞台作品が好きなのかもなあとよく考えます。

まんべんなくみんな発声も好きな感じになっていてよかったです!息が余ってすべってるな…みたいなことを感じることがなかったな~と思う。全部好きになって北千住から帰ってきてるな。

千鶴の青木志穏さん!!!もう、ちょうよくて。この千鶴がいたら山南さん(ひねくれてる/言い方…)も心を動かされてしまうよなと思うんですよね。このルートにはこの千鶴って言われるのが分かったかもしれない。ビジュが出て、大人っぽい千鶴だね~とは話していたのですがゲームより想像より数段かっこよくてめろめろに…。

手が好きでした。変若水を飲んだ山南さんに殺してくれと迫られるところでもがく手も、あなたは生きていると手を取る手も、抱きしめられて惑う手も、全部変わらない同じ千鶴の手で千鶴の心で、わたしはすごく好きだった。かっこよかったっていうのは、血をあげるときに小太刀をスパーンと抜いて、そのまま手のひらを切って小太刀から手を放して何のためらいもなく落とす(たしかここまで下を向いたりせず、ただまっすぐ前を見ている)からで…。1つの切れ目もない動作なんですよ。しびれるじゃん…。小太刀は薫の刀と対になるものだし、雪村家の象徴だと思うんだけど、それを断ち切るようにも感じられた。カタルシスだ…。

カテコあいさつが薫役の星元さんだったときそちらに体を向けて聞いていたのが印象的だった。薫あっての千鶴、千鶴あっての薫…。

言うまでもなさすぎるが言及はするべき。山南敬助役・輝馬、映像で観たときからなんかうまいひとがいるという第一印象がぶれず、さらに鬼気迫る・繊細な芝居の両方をみられてしあわせでした。最高スチル(千鶴が寝ているところに別れを伝えに来るやつ)で、最高の曲を歌っていてマジで、最高。「生者は死者に恋をしてはいけない」は元々あるセリフだけど、そこに曲がついて心情がさらに詳しく表現される。これがミュージカルだ……と思った。わたしはミュージカルもストプレもあんまり気にせずに観られる人間だけど、ミュージカルについて「突然歌い出すやつ」みたいな感じ方をする人もいるそうなので、これがミュージカルの手法です!!!と示したい見本かも。

まだまだアンサンブル含めキャストめちゃくちゃいるので追記しますね(;ω;)…

全体・物語について

とにかく全員歌いまくっていて殺陣がありすぎる。もはやレヴュー。これまで存在していた場面がかなり潔くなくなっているので、逆にもうそれはそれでいいのかもしれん。わたしが原作知らないで観たとしても圧倒されていいもん観たし、原作やるか…ってなったと思う。

ちー様の「風間千景、鬼だ。」も近藤さんの偽名名乗りも、原田永倉の離隊の経緯説明もあんまりない。自分で書いてても本当か?と思うんですが、ちー様名乗ってないよね?!はじめちゃんは秒で御陵衛士ではなくなるし…。通路降りだったので捌けるのかと思ったら立ち止まってて、混乱してたらまさかの復帰でした。そして初回は風間肩入れ客として見てて、あ~ちー様が千鶴に興味を持たないのって、歩み寄りの機会がないからなんだなあと思った。乙女ゲーはフラグを立てて進めていくものなので、それはそうだが。

舞台上でずっと「良い」が繰り出されていて、非常に楽しかった。というか初っ端あんなことになると思わないじゃないですか!最初舞台上に山南さん(輝馬)が登場した時点で、これは…間違いないな!と思ってガッツポーズした。暗転の多用、提灯、ろうそくの炎。画面の作りが、絵になる暗さがたくさんあってすごくきれいで好きだった。

山南さんはどのルートでも千鶴と関わりが深いというか、ナビのような立ち位置だけど、そこからきれいに恋愛に転がっていくのに納得感がある。山南さんは、元から持っている諦念に加えて羅刹になってしまったこと(けがは治るけど、伊東甲子太郎が参謀として入隊するため論客〈=総長〉である意味も見失いつつある/これは今回は語られていなかったはず)によって自分の存在意義を問い続けて、他人と関わることに自棄になっている…とわたしは思っている。だから変若水を飲んだとき立ち会っていたにも関わらず、自分を羅刹だからと避けない千鶴の存在って怖くて強くて自分の想定外で、千鶴が自分に何か感情を持って近づいてくるのから遠ざかろうとしている…。というのがゲームで持った印象。

この千鶴が強いっていうのが、山南さんから父親の話を聞かされた後に聞かなければよかったかと問われてからの

山南:しゃがみこんだ千鶴に目線を合わせるために膝立ち

千鶴:立ち上がる

山南:姿勢は変わらないまま

この動作に現れているのかな~とか思っていた。千鶴目線のが高い位置にある状態。その後山南さんの「あなたは強い子ですね」に続く。千鶴は守られる存在であるにはあるんだけど、山南からしたら見知らぬ場所で1人で立って、自分のような人間とも関わろうとする千鶴のが強いんだろうなと思う。

今回は影とか色々言ってるし、他ルートよりもただ千鶴が光であるという色合いが濃い気がする。さっき藤堂篇も観たところなのですが、たしかに雰囲気は似ているのかも。(藤堂篇おもしろかったです。)これは脚本の力も加わってかもしれない。オタクテンプレだなあ…とも思うのですが、わたしは誰かが誰かの光になる物語がかなり好きで、そういう話だったので楽しかったなあ♪と言い続けてしまう。

薄桜鬼・はくみゅは千鶴との恋愛がメインではあるけれど、恋愛に至るには攻略キャラがかっこよく感じられないとならない、のでなぜ彼に千鶴(わたしたち)が惹かれるのかというのが描かれるべきなんだろうと思う。だから山南さんが組織で元々どういう立場で、羅刹になってからはその立場も変化して、さらにそこにどう意味を見出すかという生き様の物語が丁寧に描かれていたなあと思う。それがメインテーマにつながるのでしょう。

「何者であるか」

今ここで作品を観ているわたしたちだって本当に存在していると、生きていると誰も言いきれない。「何者なのか」という問いは新選組、千鶴、山南、そしてわたしたち全員へのもので、だから響く。鏡・影が山南さんと羅刹を語るときのキーワードになっていて、それもおもしろかった。好きだ…。山南さんを照らして映す鏡は千鶴で、羅刹隊士や平助を照らすのも見つめるのも山南さんで、それを全て鏡として見届けるのは客席のわたしたちなのかも。わたしたちのまなざしで、新選組も千鶴も山南も実存になる。

そしてこの問いの後に土方の「逃げるな、背を向ければ斬る」が入る。そのおかげでここに色々な意味が、単純に千鶴を物理的に斬る宣言だけとしてのセリフではないように感じられもした。この問いから目を背けることは、もはや死んでいる・死んだように生きていることと同義というような。

ミュージカル『薄桜鬼 真改 山南敬助篇』

無事に幕が上がりました。

『自分が何者であるか』は、自分を含めて、常に問われる人生の命題だと思っています。

https://twitter.com/tonobiyori/status/1645376620126167040?s=20

受け継がれるもの

新選組も水鏡(志譚のテーマ曲)が流れてああこれが転機に、存在証明になるんだと予感させられる。西田さんがアニメを観てるのかは知らんけど、黎明録の上洛してすぐのエピソードとかも踏まえるとあそこで水鏡が鳴るのまじでめちゃくちゃ良い。観ながらそもそも志譚って志(こころざし)か、タイトルが良いんだよな…と思っていた。

水鏡には山南さんはいないのでなるほどなあと思う。今作は山南さんが大坂で土方と隊務にあたっているとき(これはミュではっきり描かれていない)に、深手を負ったという報告から始まる。史実にifはないけれど、土方がけがを負っていたかもしれない…というのもあって、表舞台で活躍する「副長」と裏で活躍する「総長」の姿を対になるものとして描いている…と自分が思いたい……というのも込みで読み取っていた。

わたしは原作ゲーム内で、土方が「山南さんは剣客としても論客としてもこの新選組に必要な人間だ」と言うのが、その空回りするコミュニケーションも含めてすごく、初見から好きだった。好きだったし、今作はその関係が鮮明に表現されていたような気がした。3回目観たくらいからはきみたちはもう少し話しなさい!!!と思っていたが…。ちなみに劇場版ディスク特典のノベライズで土方は「自分がもう1人いたらいいと思うときに思い浮かぶのが山南さん」みたいなことを言っている。

※以下歌詞はニュアンス

スポットを浴びて交差する2人の動線。「何かを貫けば切れてしまう細い糸」という歌詞、でもその先にあるのが「その糸をつないでくれたのはあなた」…千鶴だったというのがすごくきれいな展開の仕方だと思った。カプとか云々の話ではなく、男同士の関係には女が介入できないというのが世の理みたいな雰囲気があり、わたしはそれを眺めるのが好きだし憎い。でも千鶴が山南を信じると決めたことで、山南も自分が新選組の一員として動いて、誤解されていたとしてもいつか伝わると思って自分の信じる誠を貫く…みたいな流れになっている……のだと思う。ゲームやったときの記憶がないのでゲームもまたやります…。この2人のエピソードだと普段「土方くん」と呼んでいる山南さんが辻斬りの実行を疑われて(まあたぶん土方は「信じたい」のだが…)から「土方"副長"」と言うのが非常によかったですね。

薄桜鬼というのは「乙女ゲーム」であり、主軸はヒロインと登場人物の恋愛である。それがメインに据えられているからこそ、千鶴が新選組という「組織」にできることはない、そこから攻略対象の各人にどう尽くすか、死にゆく者たちの想いをどう北に届けるかみたいなのがベースとなっている気がして、わたしはそこが「自分が」薄桜鬼の物語に触れるときもどかしいなあと思うところだった。わたしがどうしても新選組の隊士たちの関係を考えてしまう人間だからこそ、千鶴が存在するのがどうしても不自然というか、千鶴は新選組に関わった物語の中であと一歩及ばない存在というか。攻略対象との個人の関係に完結してしまう感じが…ある。だから今回の作品で描かれる「組織の中で千鶴しか果たせなかった役割」・「千鶴が物語に存在する意味」がすごく好きだった。

千鶴が綱道から「江戸になんて残していくんじゃなかった/そうすれば新選組なんかとも関わらずに済んだ」と言われ「私がみなさんと出会ったことに意味はないと思いますか?」と山南に問う部分が印象に残った。間違いなく、千鶴にも山南にも新選組にも意味があったはずだから。

全ての物事について意味があるかも、ないかも、自分で決めることで他人に判断されることではない。わたしはこの作品を観られたことがすごくうれしかったし、だからその経緯(複雑)全てに意義を感じた。自分がこれまでしてきたことも、好きになったものも、これからしていくこともきっと何かにたどり着くための布石だと信じようと思った。だからこそ目の前のことも明日のことも今も全部、悔いのないように進めようという力をもらった。こういうことを書くと陳腐だなと自分でも思うんだけど、わたしはロマンチストだから客席から舞台を観ながら本気でこういうことを考えて、泣いていました。「愚かだとは知っている」、「やってみなければわからない」、そう言って風間に向かっていく山南さんのことが好きだし存在してくれてうれしかった。過去形にしてしまうのが嫌です!(笑)終わってしまったのが本当にさみしい。

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近藤さんが自分が残るから先に行けという場面で、願うだけでは名将にはなれないって言うのだがあれは千鶴に語っているセリフなんですよね元々。だから土方とはじめちゃんしか残っていないところで言うのは、あまりにも痛みが大きすぎるだろと思っていた。土方がそういう名将に近藤さんを仕立てたかったっていうのは、今回はっきりとは語られないんだけど、それが潰えたのが、本人の口から言い渡されるのがあまりにも悲しかった。わたしは碧血録(アニメ2期・敗走を重ねる時期をアニメにしたやつ)が好きなのですが、これはそのにおいがするなあ…と思った。

登場人物の感情の出方は特に新八の描かれ方がこれまでと比べたとき珍しく、引っかかったので言及したのだけど、彼が突出しているわけでもない。病床の沖田が止める千鶴を払いのけるところも、山南さんが辻斬りの疑いをかけられてそれをかばった千鶴ともども土方に刃を向けられているところも、人物のぶつかりはず~~っと本当に観ているこちらが痛ましくなるくらい、120%の力だなと感じられてわたしはそれがすごく好きだった。羅刹の力を敵が用いたら危険だから使わないというのかと土方に迫る山南さんは、これまでも同じセリフがあったはずなのにもっと背負ってるもの・想いが乗っていて、これが山南篇の山南さんなんだなと理解した。

余談も余談ですが、千鶴のブロマイドを買うには全員セットのやつを買うしかなくて悲しい。千鶴もあの彩度の低い(写真館で撮ったのをイメージしているらしい)ブロマイドを手に入れて並べたかったのですが…。あとランブロにこそ良い写真があるというのが道理なので、山南(羅刹)・縦はランブロにしかない。千鶴と並べたいんだよな……。ランブロ、やるしかないのか…。

また追記します!