大切なことはいつもあかりょーが教えてくれた

タイトルまま

 

赤澤くんのことは一応知ってたのに突然めちゃくちゃ好きになってしまったし*1、彼はなんかただ舞台に立って演技をしているだけで色々なことを教えてくれていてすごい。タイトルのあかりょーっていうのは、小南くんが赤澤くんをハム太郎扱いしているときの呼び名で使いやすかったから使いました。あと昔やってたドラマのタイトルをいじったつもりが間違ってた。

わたしが観たのはギアスだったのでキャラオタとしての加点が500/100点あるにしろ、劇中で挟まれるダンスシーンがすごく魅力的でわたしはそこからスザクがユフィと一緒にいることの意味というか、物語をたいへんたくさん受け取ってしまい赤澤遼太郎さん最高!となってしまったのだった。わたしはスザクが好きなので、スザクには苦しんでほしくないし(無理)、できることなら穏やかに暮らしてほしい(無理)んだけど、作中を通じてそういう場面ってユフィといるときとか生徒会でバタバタしてるときとか、ジノとアーニャといるとき…*2しかなくて今回それはユフィと出会って街を歩いている場面だなあと思っていた。そこでダンスが挟まって、あのキリキリしてるスザクがやわらかい表情で踊るのが、踊り方が好みだったのもありすごくすごく好きだったし救われた。

たぶんそれって赤澤くんが元々ある程度踊れるひとだからで、踊りに(顔だけでなく)表情を付ける余裕があるから表現の手段になるんだと理解してすげーーー…と思ってしまったのだった。赤澤くんは俳優なので、ダンスも歌も本職じゃない。表現の手段なのである。だからこそできる役が広がるんだろうなあと思ったし、きっと元々やってたにしてもまあ、そこにもその先にもきっと努力があるんだろうな~…と勝手に思ってまたすげーーー…となった。わたしは最初演者のスキルのばらけ具合にミュージカルじゃなくてもよかったんでは?とか思ってたんだけど、あのスザクを客に見せるにはミュージカルじゃないといけなかった。演者の身体表現に重きを置くと(勝手な印象を持っている)吉谷さんがミュージカルにして赤澤くんを歌って踊らせるぞ♪と思ったのであれば、それは物語を伝えるための選択として正しかったんだと思う。

だからこそやっぱり歌は滅ばないでほしい……!泣

周りの友人はけっこうストプレじゃないと頭に入らないって言ってることが多いんだけど、わたしは人生で初めて観たときからミュージカルナンバーの訴求力に圧倒されて、ずっとミュージカルが好きなんだなと思った。わたしは演者が踊れる・歌えることにそんなに重きを置いていないと思っていたけど、やっぱり好きなことをうまくやってくれるのはうれしい。だからそれができる演者への加点が発生するんだなと納得した。

客席からスザクを演じる赤澤くんをみながらあーーーこのひとすごいお芝居と舞台が好きなんだろうなーーと突然思った。直前に観たアメリカの時計を書いたアーサー・ミラーの言葉*3が、翻訳台本を書いた翻訳家の方のメッセージに引用されていてそれに深く感銘を受けたのも手伝って、わたしは舞台が好きなんだな…*4と改めて考えることができてよかった。それに本人がカテコでも投稿でも芝居と舞台とコードギアスが好きって言ってくれるのありがたすぎる。このおかげで何かを伝えたければ下手でも長くてもいいからまず言葉にしないと何も伝わらないだろ!というのを改めて感じた。こうやって色々話をしてしまうのがわたしの性質で、そういうのができるひとに惹かれるのは自分と似ていると思えるからなんだろう。

 

*1:観に行きたいけど別に彼に降りるとかはたぶんなくて、単純に舞台って楽しい♪みたいなことを教えてくれたので

*2:これはラウンズとしてのスザクだから微妙かも

*3:全然別のものですが参考に:

【世界文化賞】アーサー・ミラー氏(演劇・映像部門)「作家であるから自分の意見を言うべきでないという理由はない」(2001年受賞時インタビュー)(1/15ページ) - 産経ニュース

*4:だし好きな人間もそうあってほしいと思ってしまう